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まちは、みんながつくり上げるもの

インタビュー - 2017.03.13

一般社団法人宮崎県建築士会 会長 松竹昭彦氏

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 宮崎市生まれ。一級建築士。松竹建築設計事務所所長。建築設計・監理という業務の傍ら、一般社団法人宮崎県建築士会会長として地域貢献や景観まちづくり活動、地域づくり活動、教育活動などを行う。

熟考して決めた建築の道

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 父がやっていた建築設計の仕事を見ていたので、建築士になるのはほぼ自然でした。しかし、幼いころの夢で一番なりたかったのはパイロットだったんです。人の命を一手に預かる責任感みたいなものに憧れてたんですよね。でも、だんだんと家やまちをつくる建築士もつくったもので人の命や生活を守るという点ではパイロットと同じだという考えに至り、高校進学の時には将来建築に進むことにほぼ心は決まりました。でも進学した高校は普通科でした。当時父は工業高校を勧めましたが、建築をやるとは決めたものの高校の時から限られた道に絞られずもっと広い世界を見たかったんですよね。そして大学は建築学科に進んだんです。私の進学した大学は建築や土木などさまざまなモノをつくる経験を通じて自分に合うものを探しなさいという方針でした。そんな感じで僕はいつも目の前にあることを考え、悩み、本当に進みたい道を自分で決めて歩んできたように思います。

覚悟が自分を強くする

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 大学卒業と同時に父の希望で実家の事務所で働きはじめましたが、約7年目の私がまだ31才の時に父が他界したのです。そのことは私の人生を大きく変えるターニングポイントとなりました。官公庁からの設計を主にやってきた父のやり方ではなく、私は人と向き合いながらつくり上げていく仕事をしたいと思ったんです。しかし、ジレンマはありました。そんなやり方に突然変えて収入が途絶えたらどうしようと。誰のせいにもできない。でもそのプレッシャーに負けて信念を曲げたら、何のためにこの仕事を選んだのか、自分の望む生き方に妥協してしまうのではないか、何度も自分に問い続けました。もしかしたら、相当苦しい思いをするかもしれない、失敗するかもしれない、でも信念を曲げずにいこう、自分のスタイルでいこう、そう決断したんです。

 そうなるとやるしかありません。本気で自分の仕事や生き方のスタイルをつくる勉強を始めました。もちろん、それまでもしていたんですよ。だけど、自分がやりたいものを具現化するにはどうしたらいいかなど、本気で考え始めると勉強や姿勢の深みや質が違ってくるんです。そして本気で考え尽くしたものを世に出していくと、見てる人は見てくれているんですね。恐らくですが「なんかあいつ頑張っているみたい」というのが伝わり、そこからはひとつ設計し建物をつくるとそれが自ずと次の仕事へという風につながっていき、途切れずコンスタントに仕事をやれるようになりました。

人と繋がるまちづくりのおもしろさ

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 これまでに、単体の建物だけではなくみやざきアートセンター前のバス停のリニューアルや青島ビーチパークなどのまちづくり関連の仕事にも関ってきました。共通していることは、みんなを巻き込みながら、意見を出し合い一緒につくり上げていくことです。私がひとりでプランし創造することはとても楽なこと。でも、独りよがりのモノづくりだと多くの人に理解してもらえないこともあります。みんなで関ってつくることでより多くの人へ伝わるし、若い世代への経験やチャンスにもなります。

 例えば、第1回目の青島ビーチパーク環境整備のときは時間も予算も限られていました。その中でどうつくるかを考えたとき、既に役目を終えた懐かしい海の家の廃材を使い、地元の人たちの手を借りて思い出の詰まったものをつくることにしたんです。「あなたの街のことです。直接すぐにあなたには得はないかもしれないけど、いつかまわりまわって何かが返ってきます」と呼びかけ、賛同してくれた人たちとつくりました。みんなで汗水を流してつくると感動が生まれました。感動を分かち合うと人間は切っても切れないものすごく温かい関係ができるんですよね。「大変だったけど、またやりたい」という気持ちの渦ができました。それに、地元の人たちが関ることはハードの面で思いのこもった環境ができるだけでなく、ハートの面の思いやりのある環境も整うんです。「僕も手伝ってつくったから案内するわ」「知っている人がいるからよくしてくれるよ」という自慢や誇りの関係の連鎖ができ、予想を超えた大反響という大きな波を起こしました。

失敗を恐れず広いつながりを持とう

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 次の世代の若者に受け入れられることも意識しています。モノをつくっても、次を担う人たちがその時代にあったカタチで、アレンジしていかないと単なる古いものになっていきますよね。だからそういうきっかけを次の世代に残すのが私たちの仕事でもあります。完全な形を作り上げて、「どうだ引き継げ」となると、次の若者はその時は力を貸してくるかもしれないけど、つまんなくなってしまいます。「僕たちならこうするかな」ってところを残しながら、「あとは頼むよ」って言ってあげることも必要と思っています。今の若者は僕らが若かった時代よりもずっと仲間作りが上手だなって気がします。私なんかはどちらかというと一人でガツガツやってその成果をみてくださいみたいなところがあったんだけど、最近の若者は「これしたいんだけど誰か一緒にやろうよ」という声の出し方や伝え方が上手だなって思います。ただ、1人でやろうが2人でやろうが、3人でやってもいいんだけど、その輪っかの中の独りよがりでいてはダメ。年齢や組織など縦系列も横系列も含めて広いつながりを持てる努力はした方がいいと思います。時には私たちみたいな少し年上の人にぶつかってみるとかね、そういうのを遠慮なくやるといいと思います。僕らもそういうことがありましたが、けちょんけちょんに言われることを恐れず、当たって砕けて、砕けたらまたやり直せばいいじゃんくらいの気持ちで、恐れずぶつかってきて欲しいと思います。

 私たちもそう力があるわけじゃないけれど、少し経験が多い分若者とは違ったところを見ている可能性があります。私たちもその可能性があることを発信しなくてはいけないですね。「あの人はこういう取り組み方をする人だ」「僕たちの考え方を受け入れてくれたり何かアドバイスくれるかもしれん」そう思ってもらえる様にしておかないと、若者に何かを残したいとか繋ぎたいとか、そういうチャンスを残したいとかいうことが出来なくなってしまいますね。共に一歩を踏み出すことでこれまでと違う景色を見ることができますよ。

ライター後記

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 最近よく仕事を通して“宮崎が少しずつ楽しくなってきている”ということを感じます。若い人が「宮崎はこうなるといい」という想いを発信する力が強くなってきているのも一つの理由だと思いますが、その想いを形にする術を持つ大人が知恵を貸し、共に動いてくれることも大きいのではないでしょうか。松竹会長のお話を伺っていると「大人はいつでもみんなの声を待っている」という印象を受けました。若者と大人の間には垣根なんてありません。「よりよい宮崎はみんなでつくっていくもので、リノベーションしながら常に成長していけるもの」なのだと松竹会長もおっしゃってくれました。宮崎にはまだまだ良くなるポテンシャルを持っています。それを活かすための知恵をみんなで考え、共に動いていければ、もっともっと楽しい宮崎に住むことができるのかもしれません。