20do

  • Twitter0
  • facebook0
  • LINE

いまを伝えるために、出来ることを

インタビュー - 2018.01.15
""

 宮崎キネマ館は、日本で初めてNPO法人(特定非営利活動法人)が運営する映画館として誕生しました。宮崎の街の中心、橘通りにあり県内唯一のミニシアターとして映画ファン憩いの場になっています。今回、お話を伺ったのは宮崎キネマ館3代目支配人の青松俊哉さん。20年程前に福岡から宮崎へ。宮崎東映劇場の支配人として6年間勤務されていました。青松さんが映画館を通して、伝えたいこととは?座談会形式でお話を伺いました。

""

▲宮崎キャリア・デザインスクールのカシュー・げん・もるる・ことちゃん・あやちゃん、ナビゲーターのくぼちゃん

 2001年に開館した宮崎キネマ館は、NPO法人(特定非営利活動法人)『宮崎文化本舗』が運営しています。映画館は、集合ビルの2階にあり、収容人数は2スクリーン合計で149名です。エスカレータをあがりすぐ見えてくる受付の壁には、様々なジャンルの映画ポスターが貼られていて、とても賑やか。20年以上続く『宮崎映画祭』の会場になっています。

不安を抱えながらも、果たした責任

""

【くぼちゃん】2016年から宮崎キネマ館の支配人になられ、日常的に映画をご覧になっているとおもいます。映画が好きという思いから、今の仕事を選択されたのですか?【青松】最初は、映画は好きだけど趣味という気持ちでした。21歳の時にアルバイトで働いていた映画館の方に「うちの会社受けてみない?」と誘われて、福岡東映劇場に入社しました。そこで予想外の出来事が起こったんです。私が21歳のとき初任地宮崎で、支配人として勤務することに。今まで映画館でアルバイトをしていたとはいえ、ポップコーンをつくったり、映写を担当したり、もぎり(チケットを確認する)の経験だけ。全く知らない土地にいって、運営を任されて、経営のために数字をみろって…正直、不安でたまらなかったですね。でもやるしかないから、がむしゃらに働いていました。

誰かが『現状』を伝えるべきだと思った

""

【げん】21歳の若さで、いきなり支配人になってくださいって…想像できないくらい不安が大きいと思います。僕だったら無理って投げ出してしまいそうです。それでも青松さんが映画館の仕事を続けるのはどうしてですか?【青松】この業界で働き出した当初は、不安の連続でした。しかし、20年以上映画に携わる仕事をしてきて『なんで宮崎では、この映画は上映しないの?』など多くの疑問を頂く機会があり、映画館の現状を知ってもらう機会が必要なのかもしれないと思ったんです。そこで、毎月発行している上映スケジュールのチラシに『誰が為に上映ベルは鳴る』というコラムを始めました。コラムを通して、様々な映画の疑問にこたえたり、映画の現状を伝えるようになりました。

選択できる機会をつくりたい

""

【カシュー】今は情報がたくさんある時代ですが、知らないことが多すぎるのを実感しています。【青松】例えば、日本で1年に何本の映画が作られているか知っていますか?【カシュー】難しいですね…200本くらいですか?【青松】実は、日本で上映される映画は、毎年増え続けているんです。年間約1,200本の映画が生まれています。その中でシネコン(商業施設にある大きな映画館)で上映されるのは約250本。ミニシアターであるキネマ館では、多い時で月30本、年間260本の映画の上映を2スクリーンで行っています。1日1回の上映でも、本当にみたいと思った人は足を運んでくれると思って上映スケジュールを組んでいます。映画には多様なジャンルがあり、宮崎に住んでいる人にも作品を選択する自由は必要と考えています。正直、1日1回って優しくないのかなって思うときも。それでも1つでも多く上映し、選択できる機会を作りたいと数を増やしています。

人が集まる場所が、街の中にある

""

【くぼちゃん】選択する機会はとても大切ですよね。【青松】数多くある映画の中から「これみたいと思ってた!」とキネマ館に足を運んでくれて「あの映画、なんか面白くなかったね~」って帰ってもそれでいい。いろんなジャンルの映画を観れる場所が街の中にある。知らず知らずのうちの街に人が集まるきっかけになってくれていたらと思っています。だからこそ、ここでたくさんの映画を上映するためにどう企画しようかな?って考えられるのかもしれないですね。

 穏やかな笑顔が印象的な青松さん。ミニシアターだから出来ることを考えながら、様々な取り組みをされていました。上映中に大きな声で応援ができる、応援上映を企画したり、数年前には、映画館に有名な俳優さんを呼ぼう!という企画でオリジナルPV を作成し、ネット上で話題になったこともあったそうです。

 最初は趣味の感覚で、偶然始めた映画館の仕事。長年携わってきて生まれた使命感が、街の中で文化を引き継ぐ存在を支えているとお話を聞いて思いました。