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2020.10.02

インタビュー

フリーパーソナリティー・ミュージシャン 濱田詩朗 さん

最初の5年間は人前で
しゃべることが嫌だった

 ラジオやテレビのパーソナリティーに加えて、イベントやライブでミュージシャンとしても活躍している濱田詩朗さん。そんな濱田さんに宮崎で働く面白さを語ってもらいました。
―濱田さんの経歴を教えてください。
中学2年生の時、高校には行かないと決めて、卒業後すぐに近くの音楽事務所で働き始めました。でも現実は厳しくて1年で逃げだしましたね。18歳でバンド「NIHIL TENTION(ニヒルテンション)」を組んだのですが、これがレコード会社の目にとまり、20歳でメジャーデビューし、CDを3枚出しました。解散後、音響のバイトをしていた時に、ケーブルテレビやFM宮崎から、「話す仕事をしてみないか」と声をかけられたのが、この業界に入ったきっかけです。でも、始めて5年ぐらいはしゃべる仕事が嫌だったんですよ。

パーソナリティーとしての仕事をしながらライブでの演奏も

どうしたら楽しくなるか?
徹底的に研究

―仕事を続けられた理由は?
辞めたいと思っていた時、「真剣に力を注いでやってみたのか」と自身に問いかけました。でも、まだ何の努力もしていないと気がついたんです。そこから奮起して、インタビューなどを徹底的に研究。そうするうちに「今まで出演したメディアで一番楽しかった」という感想をもらえるように。何でも没頭してやると、自然と楽しくなるんです。現在は、事前にさまざまな情報収集をしてラジオの仕事に臨んでいます。またケーブルテレビでは、自分がやりたい企画を会社にプレゼン。どうやったら続くかを考えて、スポンサーも自分で見つけたんですよ。

メインパーソナリティーを務めるFMラジオで

地方で発信するから
目立つこともある

―県外で働くことは考えなかったんですか?
18歳の時に一度出ようと思ったんです。でも地元で何もできていないのに、東京で何ができるのかと父から言われて。ここでやれることをやってからで良いかなと思って。メジャーデビューも宮崎からでした。地方にいて発信するからこそ目立つこともあると思います。
―就職を目指す人たちに何かメッセージを。
私には娘がいますが、親としては子どもが持つパワーを認めて、方向性を見つける手助けだけしてあげれば良いのかなと思っています。そして本当にやりたいことがあるなら、周りを納得させる気概をもって挑戦してほしいと思いますね。

「18歳でバンドを作った時は、仲間も家族もそばにいて孤独じゃなかったから頑張れた」と濱田さん

 

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取材協力
■楠並木酒場PALMA(パルマ)
濱田さんもよく利用するお店。濱田さんのお薦めは馬刺し、バケツチューリップ、ざる豆腐だそう