甲子園に向けて走り抜けた日々。夢や目標を原動力に
WORK
株式会社OHANA 代表取締役鶴田 隆二さん
\鶴田 隆二さんってこんな人!/ ■小学生で野球をスタート。甲子園を夢見て日南学園へ進学 ■高校2、3年生で甲子園出場!厳しい練習の日々で得た忍耐と努力 ■人生の「If」に備える、お金のプロ「ファイナンシャルプランナー」へ そんな鶴田さんのこれまでの歩みとは?詳しくお話を伺いました!
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厳しい練習と挫折。甲子園に向けて走り抜けた学生時代
自己紹介をお願いいたします!
株式会社OHANA(オハナ)代表取締役の鶴田 隆二(つるた りゅうじ)です。宮崎市出身で1986年4月19日生まれの38歳です。
小学校は赤江小学校、中学校は赤江東中学校に進学しました。小学校時代から少年野球をしており、高校は野球をやるために日南学園高等学校に通いました。
その後、福岡経済大学(現:日本経済大学福岡キャンパス)の経営学部へ進学しました。
野球一色の学生時代だったのですね。始めたきっかけは何だったのでしょうか?
小学校1年生の時に野球を始めたのですが、きっかけは兄が少年野球チームに入っていたことでした。
幼稚園の年中くらいから兄についていくうちに、自分も自然と野球を始めるようになりました。当時は兄弟が一緒に野球をするのが当たり前の雰囲気だったので、必然的に入ったという感じです。
続けていくうちに、中学時代にはエース的存在に。10校ほどから野球での特待生のオファーがありましたが、最終的に日南学園を選びました。
当時、兄の同級生だった寺原隼人さん(宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手)が「甲子園に行きたいなら厳しい環境を選ぶべき」とアドバイスをくれたことも大きかったです。
高校での練習はどのようなものだったのですか?
小学校時代から厳しい指導を受けていたおかげで、忍耐力や精神力の基礎は身についていました。しかし、日南学園ではさらに厳しい環境が待っていました。
朝6時の自主練から1日が始まり、午後はすべて野球漬けの毎日。完全寮生活の中、携帯電話も持たず、お風呂や就寝前まで野球漬けの生活でした。
休みは1年でお正月の1週間だけという徹底したスケジュールの中で過ごしました。
全国からスターが集まり、はじめは自分の力不足を感じ挫折も経験しましたが、この環境が自身をさらに成長させるきっかけとなりました。
精神的にも体力的にも厳しい環境をどう乗り越えたのですか?
やはり「甲子園に行きたい」という強い思いが原動力でした。自分が出場することを想像して、日々の辛い練習にも耐えられたんだと思います。
実際に甲子園には出場できたのでしょうか?
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そうですね、高校2年生の夏と3年生の春に甲子園に出場しました。
2年生の時はメンバーに入れず悔しい想いをしましたが、スタンドで応援団長として声を張り上げていました。大舞台に立つ仲間の姿を見てとても感動しました。
3年生の春は選抜大会に出場し、初めてグラウンドに立ちました。その瞬間は、まるで雲の上を歩いているような感覚でしたね。ただ、あまりの緊張で記憶はほとんどありません(笑)。
実は、3年生の夏にもう一度甲子園に行けるチャンスがあったのですが、予選の決勝戦で接戦で負けてしまいました。終わった瞬間は放心状態でした。
行けると思っていたのに、行けなかった。必ずや絶対ってないんだ、と実感し、この出来事が自分にとってのターニングポイントになりましたね。
厳しい日々を乗り越え、夢の場所へ行けた日々。学びもとても多かったのではないでしょうか?
そうですね。素晴らしい指導者との出会いも多く、数多くの学びがありました。
まず小中学校時代は、今ある環境は当たり前ではなく「支えてくれる親がいるから野球ができている」という感謝の気持ちを持つことを教えていただきました。
あとは、中学時代ではスター的な存在だった自分が、高校では同じように活躍できる状態ではなかった。スター選手たちとの競争を通じて、マウンドに立つだけでない自分の役割を常に考え、チームでの貢献の重要性を学びました。
そして、今のマネジメントにもいきているのが、チームで動くときには「目標を明確にする」ことが大事だということ。
野球を通じて、たくさんの気付きをもらえましたね。
経験を力に変えて。お金の専門家「ファイナンシャルプランナー」に
大学は、福岡の大学で経営を学ばれていますが、当時の目標は何かあったのでしょうか?
野球関係でご縁をいただき、進学しました。特に目標という目標はなく、漠然と将来役に立つだろうなという思いで「経営学部」を選択しました。親元を離れたくて、県外に出たかったというのも大きかったですね。
大学時代は、誰にも管理されないという反動で、結構弾けていました(笑)。これまでの学生時代に経験できなかったアルバイトをやってみたり、今までできなかった経験をしました。
卒業後は、宮崎に戻られたのですか?
大学卒業後、全国展開する太陽光発電関連の企業に入社。就職説明会で見たカリスマ社長に憧れ、直感で選んだ職場でした。
同期200人のうち1年後には20人に減るほど厳しい職場環境の中、野球で培った忍耐力と負けん気を活かし、新人賞を受賞。
歩合制で成果を上げ、高収入を得る一方で、お客様のクレーム対応を通じて「本当にお客様のためになる仕事」をしたいという想いが芽生え、転職を決意しました。
次はどのような会社に勤められたのでしょうか?
地元宮崎市の老舗不動産企業へ転職しました。
規律と信用を重視する環境で、天狗になりかけていた自分を見つめ直し、お客様と企業のあるべき関係性を学びました。
この経験が基盤となり、2014年に株式会社OHANAへ転職。さらなる挑戦をスタートしました。
株式会社OHANAはどのような会社なのでしょうか?
株式会社OHANAは、ファイナンシャルプランナー事業を行う宮崎市清武町にある企業です。1993年に父が事業を立ち上げました。
有限会社ライブライフという不動産を取り扱うグループ会社があり、そちらは兄が代表を務めています。
株式会社OHANAには、まず事業責任者として入り、2020年からは代表取締役に就任しました。
「ファイナンシャルプランナー」とはどんなことをするのでしょうか?
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ファイナンシャルプランナーは、お金のことを相談できる専門家のことです。
たとえば、「大学に行くためのお金をどう貯めたらいい?」「将来のためにお金を増やしたいけど、どうすればいい?」といった相談に答えます。
アメリカでは、1つの家族に1人のファイナンシャルプランナーがついていることが一般的なんですよ。かかりつけのお医者さんがいるように、ファイナンシャルプランナーが家族の「お金に関するアドバイザー」として、家計の管理やお金の使い方、貯め方を手伝っています。
日本でも、最近はファイナンシャルプランナーを頼る人が増えてきているんです。金利も低下し、ただ銀行に預けているだけでは物価高に負けてしまう状態になってきています。「お金のプロ」として、お客様が安心して人生を送ることができるようなサポートをしています。
お金の不安ってなかなか相談できずに困っている人も多いと思います。プロに相談できると安心できそうですね。お仕事の中で、どんなときにやりがいを感じますか?
お客様から「ありがとう」の言葉をいただいたときや、「すっきりしました」「安心しました」と感謝の言葉をいただいた瞬間、心からやりがいを感じます。
さらに、大切な方をご紹介いただけたときには、自分の価値を評価していただけたんだなぁと実感します。それは、まるでお客様からの通知表をいただいたような感覚です。
これが、日々の仕事の原動力になっています。
覚えていただくための印象的な身だしなみ
お仕事の必需品はありますか?
髪につけるジェルとMINTIA(ミンティア)です。
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身だしなみを気にされているということですね。
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そうですね。それもあるのですが、髪のジェルはあえてピシッとした髪型にすることで、お相手に思い出していただきたいというのがあります。
「なんか髪がテカッ!ピシ!ってしている人いたなぁ」って思い出していただけたら嬉しいなと思っています。
休日はどのように過ごされていますか?
ランニングやゴルフ、子どもと遊んだりしてリフレッシュしています。
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人生の「If」に備え、豊かな人生を築くために
今後の目標を教えて下さい。
実は一度大病を患っており、半年ほど家を出られなくなってしまったことがありました。もちろん働けず、収入は激減。家の中で一人きり。不安ばかりが募り、「もう無理かもしれない」と思ったほどでした。
しかし、家族や友人の支えもあって、半年後には無事に復帰することができました。このどん底の経験を通じて、「万が一」の備えの大切さを深く実感しました。
それ以来、どんな出来事もポジティブに捉えられるようになり、自分の目標に向かって進むエネルギーに変えられるようになったんです。
さらに、これまでがんを患われた方からのご相談も受けることもありました。ですが、病気になってからではできることが限られてしまうことを痛感しました。
この経験が、より多くの方に早い段階での備えの大切さを伝える使命感につながっています。
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そんな経験があるからこそ、今は会社としてさらなる成長を目指しています。
社員を増やし、広報PR活動にも力を入れ、より多くの方にファイナンシャルプランナーの存在を知っていただきたいと考えています。
会社のSNS発信だけでなく、子どものマネーリテラシーを育む「キッズマネースクール」、20〜30代の子育てママ向け金融情報プロジェクト「コレカラ女子」というプロジェクトも行っています。
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私たちの目標は、宮崎の皆さんにファイナンシャルプランナーをもっと身近に感じていただき、マネーリテラシーが当たり前の社会をつくることです。
それが「もしも」の不安を減らし、安心と豊かさのある人生を実現する鍵になると信じています。
これからも、こうした活動を通じて宮崎に貢献していきたいです。
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最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします!
学生時代に一番大切にしてほしいこと、それは「夢や目標を持つこと」だと思います。
大人になると、夢や目標についてじっくり考える時間がどうしても少なくなりがちです。だからこそ、学生のうちに、自分の未来についてじっくり考えてみてください。
すべての始まりは自分自身です。
自分がどれだけ前向きでいられるか、どれだけモチベーションを持てるかで、物事の結果は大きく変わります。「こうなりたい」「こんな未来をつくりたい」という夢や目標があると、それが自分を突き動かす大きなエネルギーになります。
そして覚えておいてほしいのは、大人になることや働くことって、実はとても楽しいことだということ!
だからこそ、今のうちに夢や目標を見つけて、一歩ずつ進んでみてくださいね。応援しています!
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