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脱・東京至上主義。宮崎・青島をもっと面白い場所に

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アオシマアパートメント 主宰宮木 章太さん

2020年に東京から宮崎市青島へ移住した、宮木章太さん。コロナ禍で働き方や暮らし方が多様になる中、2021年3月にリモートワーカーに向けたソーシャルシェアハウス「アオシマアパートメント」をオープンしました。国内外から多様な人々が集い、地元青島の方も交流の場として利用。新しい出会いが生まれる交流の場となっています。数々のベンチャー企業を経て、青島に移住した宮木さん。経緯やこれからについて伺いました。

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挫折を通して、自分の本質「強み・弱み」を知る

自己紹介をお願いいたします!
宮木 章太(みやき しょうた)東京都出身、1973年生まれです。 人の繋がりで2020年に宮崎市青島に移住してきました。 現在は、「アオシマアパートメント」を運営しています。
アオシマアパートメント外観
宮木さんはどんな学生時代を過ごしましたか?
小学生の頃から両親の都合で引っ越しが多く、転校を頻繁に経験する子ども時代を過ごしました。中学校入学前から埼玉県へ引っ越し、同県の高校へ進学。大学は、立教大学法学部へ進み、卒業後は事業開発などを行う企業へ就職しました。そこで3年ほど働いたのち、司法試験予備校に通います。
なぜ、就職後再び法律を勉強しようと思ったのですか?
私が大学を卒業した当時は、1990年代半ば。中小企業が急成長する中で、新卒で入社した企業では、優秀な人たちがヘッドハンティングで多く入社していました。そうすると、会社の中で新卒で入った普通の人間と強い武器を持った人間との差を感じ始めたんです。社会人として、自分の武器を持つ必要があるなと考え、司法試験受験生となりました。 しかし、司法試験に合格するまでのレベルには達することができず、20代半ばで挫折を経験。今思うと、自分の強さが発揮できない部分で勝負していたので、当時はとても苦しかったですね。 私は、1人でコツコツと知識をインプットしていくより、ベンチャー企業のように必要に迫られてインプットし、すぐにアウトプットする方が得意なんです。1年後の試験のために勉強しなきゃいけないと必要性を感じているのに頑張れないというのがとても苦しい時期でした。
そこからどうやって気持ちを立て直していったのでしょうか?
気持ちだけが焦る中で、たまたま友人に新しい事業をするから手伝ってほしいと声をかけられたんです。司法試験の勉強をしながら手伝ううち、気づけば営業として、IT系のシステム会社に就職していました。 当時、業界の中でも同じようなシステムを構築できる会社は3つしかなかった。3年間で20以上ものサイトを立ち上げ、気づけばその業界で私の名が知られるようになりました。 新卒当時は、法律の資格を身につけることが自分の武器になると思っていましたが、本質はそういうことではなかったんですね。 資格で得られる知識は一般的なものでしかなく、実は関わっている事業の中で、夢中でやっていくと、その業界でもその人しかできないものになっていく。その方がよほど効率的に自分の武器を手にすることができると思います。

将来への意図と戦略を持って進む

その後も転職を繰り返されたと伺いました。 うまく行っていた仕事をやめて転職したのはなぜですか?
月の売り上げもかなりの額まで行き、順調に行っていました。しかし、もうこの事業は撤退戦だなと思ったんです。どんなサービスや商品でも最初は目新しく新鮮ですよね。ただ、ある程度のラインに達すると、だんだんと当たり前になり低下していく。それを感じ始め、IT系の上場企業へ転職しました。
いくつもの企業に転職する際に、不安はなかったのでしょうか?
特に抵抗はなかったですね。高校生の時に「転部」という経験をしたからかもしれません。 高校時代、初めは体操部に入部したのですが、体操部で身長が伸びなくなってしまったらどうしようという恐怖から、途中弓道部へ転部。高校生の時は「辞める=転落」というイメージがあり、恐怖心があったのですが、全然そんなことはありませんでした。 仕事は1つの企業で長く続けた方がいいという風潮が少なからずありますが、何年で辞めるかよりも、どういう意図と将来の戦略を持って辞めるかまたは続けるかということの方が何倍も重要だと思います。
宮崎に移住することになったきっかけについてお聞かせください。
宮崎へ移住する直前は、終活関連サービス事業を手掛ける株式会社鎌倉新書という会社に10年ほど勤めていました。零細企業から一部上場になっていく過程で役員もしていたのですが、明日がどうなるかわからないベンチャー企業で働くのが好きだった私は、安定した場所で働いていることに物足りなくなっていたんです。
現在の鎌倉新書HP(https://www.kamakura-net.co.jp/)
しかし、転職するにしても、40代の私が今更30代社長のベンチャー企業で働くのも違和感を感じる。都市型の起業で「ユニコーン企業(評価額が10億ドル以上の未上場のスタートアップ企業。)を目指す!」みたいな、ひとときも心の休まらない生活はしたくない。40代にして、自分のキャリアに行き詰まっていました。 そんな時、宮崎に移住していた知り合いから「宮崎の事業家が、東京を絡めたビジネスを作りたいという人がいるから手伝ってほしい」と誘いを受け、宮崎との関わりが始まりました。

働く・住む・旅する、そして人の壁をも溶かす場所。  
「移民2.0」を模索したい

アオシマアパートメントを宮崎につくったのはどういう想いからでしょうか?
私自身、はじめは東京と宮崎を行き来する二拠点居住生活をしていました。そのうちに、宮崎は中長期で暮らす場所にはとてもいい場所だなと感じ始めたんです。特に、働きながらサーフィンをするにはとても良い。サーフィン×リモートワーカーのための二拠点居住施設というコンセプトにたどり着きました。 実際、サーフィンを軸として、多様な業種の方が国内外からいらっしゃっています。働く・住む・旅行するの境界線が溶けてきているのを感じますね。
アオシマアパートメントHP(https://aoshimaapartment.com/)
今後アオシマアパートメントをどんな場所にしていきたいですか?
コロナ禍で働く場所にとらわれなくなった今、そして日本よりも経済的に恵まれた地域がどんどん増えていく近未来を見据え、新しい形の移民「移民2.0」みたいなものを模索していきたいです。 例えば、この場所で働きながらサーフィンしていると、海外から来た人と交わって、彼らの仕事を手伝って、気づいたら海外と仕事をしているような。お互いの得意分野を提供できるような刺激し合える場にすることを目指しています。
最後に宮崎の若者へのメッセージをお願いします!
今、時代はピンチとチャンスが同時にきている状態です。これは、若い人たちにとっては重要なこと。ピンチの影響を受けずに、チャンスを最大限生かすためには、東京への憧れに固執しないことが大事なのではないかなと思います。 もちろん東京だから得られる刺激や選択肢はありますが、幸い、インターネットコミュニティも盛んになった時代で、東京にいなくても刺激を得ることは十分できます。ただ、リアルな環境がないと実感しづらいという弊害はあるかもしれません。しかし、そういう刺激を感じられる場所が宮崎にあればいいんじゃないかと思う。 アオシマアパートメントは、国内外で面白い生き方をしている人たちが集まる場所の一つ。いろんな大人たちの生き方、考え方を知り、選択肢を広げていってほしいですね。

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