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長友 まさ美さん
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カラフルでパワフルな世界に!願う未来は自分でつくる

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サンワード・ラボ株式会社 代表取締役社長 &PUBLIC株式会社 共同代表長友 まさ美さん

対話を通してその人の持つ願いや価値観を言語化し、行動変容をサポートし、ありたい現実を創り出す「コーチング」。元々スポーツの世界で使われていましたが、1950年代にアメリカでビジネス領域にも広がり、2000年代には日本でも認知度が向上。現在、経営や教育現場でも重視されるスキルとなっています。そんなコーチング技術を活かしたサービスを展開する、長友まさ美さん。そんな長友さんのこれからと未来を伺いました。

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宮崎を出て、できるだけ遠くに行きたかった

自己紹介をお願いいたします!
長友 まさ美(ながとも まさみ)と申します。宮崎市出身、1981年生まれの41歳です。 宮崎南高等学校に進学し、卒業後は岐阜県の大学へ行きました。
なぜ岐阜の大学へ進学したのですか?
当時は、宮崎が嫌で家の居心地も悪かったので、できるだけ宮崎から離れたかった。また、海外への憧れがあったのですが英語力がなく(笑)、「日本語教師ならいけるかも!」と安易な考えで外国語学部日本語学科に行きました。 奨学金を使って進学し、仕送りもなかったこともあり、とにかくアルバイト三昧な日々でした。常時3〜4つかけもちしながら、夜ごはんはまかないがでるところを選んで生活費を少しでも抑えることを考えていました(笑)
3〜4つ!すごいですね。どういったアルバイトをされたのですか?
飲食店やバスガイド、コールセンターのクレーム処理、教育系の教材販売など、時給単価の高いものや歩合で給料があがるものなど、少しでも多く稼げるようなアルバイトをしていました。 でもそんな中で、時給で稼ぐのは限界があるなと感じたんです。1日は24時間で、365日しかない。今は、若さと体力があるからいいけれど、この先きっと難しくなる。もっと付加価値のあることを提供できる人になりたいと思い、まずは会社の事業の仕組みを知りたいなと考えるようになりました。 当時、父が入院していたこともあり、車で帰れる距離感の九州で働きたいと思いました。福岡県の映像制作や事業開発を行う企業とご縁をいただき、入社を決めました。

マネジメントの失敗とコーチングとの出会い。自分の強みがクリアに

まずはモデルとして所属をしながら営業アシスタントをするという、アルバイトのような位置付けでした。

モデルとしての活動、イベントスタッフの育成も行っていたという長友さん

 

まだ組織が小さく若い会社だったこともあり、「こんなことをすると営業の人たちは仕事がやりやすくなるかな」と考えて、小さな工夫をするようにしていました。どんな仕事でも返事は「はい」か「Yes」と、積極的にチャレンジしていましたね。あとは、上司の期待を1mmでも超えることをいつも大事にしていました。 例えば、スピード感をもって予定より早く仕事を終わらせる、空いた時間で必要になるであろう資料を作成したり、マニュアルを作ってみたり。指示はされていないけども、先回りして動いていました。 その後、会社は一気に拡大。スタッフを大量採用するフェーズに移行しました。しかし、社内は忙しすぎて面接をする人がいないほど。そこで白羽の矢が立ち「長友ちゃん、面接できる?」と聞かれました。もちろんやったことはないけれど、1秒後には「やります!」と答えていました(笑) その足で本屋に直行。「面接官の極意」といった本を片っ端から買って読み、面接リストを作成して、あたかもたくさん面接をしてきたかのように面接官として挑んだことを昨日のように覚えています。次第に、社内で評価していただけるようになり、採用から人材育成、組織開発まで任せていただけるようになりました。 そして、事業部マネージャーとして働くなかで、大きな失敗を経験しました。
大きな失敗とは、どんなことだったのでしょうか?
私がリーダーを務めるチームの人がすぐに辞めていったんです。 自分がされてきた教育スタイルで、良かれと思って、厳しく理詰めをしながら指導していたのですが、関係性もできていないなかで響くわけもなく、優秀な人が離職してしまう。そんなことが続き、自分を責めて、とても落ち込みました。 せっかく縁あって採用した人が簡単に離職するのは、その人の人生にとっても会社にとっても不幸。どうしたら働く人がいきいきとのびやかに働けるだろうか。そのためには私が変わらなくてはいけないと、リーダーシップやマネジメント、チームビルディングを学び漁りました。そのなかで出会ったのが「コーチング」でした。
コーチングはまだメジャーではなかったかと思います。どのように出会ったのでしょうか?
偶然知り合った方が、プロコーチだったんです。 その方と話しているうちに、自分の生い立ちや抱えている苦悩など、初対面の方には決して話さないようなことを涙ながらに語っていました。はっと冷静になって、なぜこんなに心を開けるのだろうと思って尋ねると「私、プロコーチなの」とチャーミングに笑い、コーチングスキルがどんなものかを教えてくださいました。 それがきっかけで興味を持ち、本を読んだりプロコーチ養成期間のトレーニングを受け、コーチングスキルを身に着けていきました。 実務でもすぐに活きて、私自身の考え方や在り方、行動が変わることで、メンバーとの関係性が変わり、仕事でもチームで結果を出すことができるようになりました。プライベートでも、過去に起きたことは変えられないけれど、捉え方は変えられることを知り、自分は自分でOKと心からいえることで、より生きやすくなりましたね。
具体的にコーチングとはどんなことをするのでしょうか?
対話を通して人の「真(しん)」を見つけ、発揮する方法を見出していきます。 ひまわりの種のような質を持った人がバラに憧れてバラになろうとしてもなれないし、理想とのギャップに苦しんでしまいます。それよりも、ひまわりはひまわりとして思い切り生きることのほうが、本人もヘルシー。その人ならではのユニークさも生まれます。誰一人として同じ人生はないように、みんな違う存在であるにも関わらず、外からの期待や思い込みから自分にダメ出しをしながら生きている人も多くいらっしゃいます。 玉ねぎの皮を一枚ずつ剥ぐように、「●●でないとだめだ」「●●べきだ」といった本人の足枷になっているような思い込みを外しながら、その人の内側にある本当の願いや大事にしたいことを見つける。そして、その願いを現実でつくり出す方法を共に模索します。 人の素質は表裏一体です。「意思が強く、決めたことをやりとげる」と見るのか、「頑固で融通がきかない」ととるのか。「柔軟性があり、目的達成のために手段はいとわない」ととるのか、「優柔不断で意見がころころ変わる」となるのか。 素質をどう世界に発揮していくかの違いだけで、どんな質も良いも悪いもない価値あるギフトです。磨いたり、表現の仕方で光に変わるんです。そんなお手伝いをしています。 私の場合、幼い頃から無意識に周りの期待に応える生き方をしてきました。コーチングの中で「あなたは何がしたいの?」と問われ続けることで、「目の前の人が笑顔になると、私まで元気になる」ことに気がづき、無限のエネルギーが沸き続ける感覚がありました。 何一つ出し惜しみすることなく、目の前の人と豊かな時間を過ごすことの積み重ねが、幸せな人生だったといえるのではと思い、今に集中して生きられるようになりました。そして、高い共感力と人への好奇心が自分自身の強みであると気付くことができました。
その後、28歳で宮崎で起業されています。どのような思いがあったのでしょうか?
人生の大事なことを気付かせてくれたコーチングをもっと社会に使いたいと考えるようになり、28歳で独立。当時、「宮崎 コーチング」で検索をすると数名の男性のお名前が出てきて、20代の女性のコーチが宮崎にも必要ではないかと捉え宮崎をフィールドに選びました。 コーチングそのものの認知度が低かったので、コーチングの体験会やコーチングスキルを活用したラジオ番組を企画、パーソナリティを担当するなど積極的に活動をしました。少しずつ認知度は高まり、対話型研修やマネージメント研修、チームビルディングなど企業をサポートすることが増えていきました。 また、宮崎で仕事をするなかで魅力的な人や場所がたくさんあることに気がつき、何もないと思って飛び出した宮崎が、実は宝の宝庫だと感じるようになりました。そこで、ローカルメディア「宮崎てげてげ通信(テゲツー!)」を仲間と立ち上げ、宮崎の魅力を発信しました。

 

東京で開催したテゲツー!イベント

ローカルメディアの編集長を勤めたことから、県内外のテレビ番組にも多数出演

 

チームや夫婦の関係性向上、そして「公共の智慧(ちえ)」があふれる国へ

コーチングも一般化し、活躍の幅も広がっていらっしゃいます。今後はどのような展開をされるのでしょうか?
弊社では、パーソナルコーチングだけではなく、関係性を取り扱う「システムコーチング」®も実施しています。システムコーチングとは、チーム(2人以上の集団)全体の「関係性」が望ましい形になることをサポートするコーチングです。 様々な企業やチームでシステムコーチとして伴走していくなかで、ダイナミックに変容していく姿もたくさん見させていただいています。大きな時代の転換期である今、一人のリーダーが旗振りをしながらひっぱっていくチームには限界があります。チームに関わるメンバーがチームの取り組みを自分ごととして捉え、積極的に動き、自然と成長したくなるチームづくりをさらにお手伝いしていきたいと思います。 また、最小単位のチームであるご夫婦向けのセッションも開始し、ほぼ口コミだけでご依頼をいただいております。自分の内側を平和に、そして関わる周りの人たちと共に豊かな関係性と現実をつくり出すお手伝いを、これからも頑張っていきたいです。 私自身も、多様な仲間と共にありたい未来を創り出すチャレンジもし続けたいと思います。今年の2月1日には、世界で最も課題解決力のある”公共の智慧”あふれる国をつくろうと「&PUBLIC株式会社」を仲間と創業しました。 組織の存在意義や社会価値を可視化するマネジメントツール「パーパスボード」®の開発と、組織の生み出す社会価値を可視化し、最大化する研修プログラムの提供を行っています。
「パーパスボード®」とはどんなものでしょうか?
世の中では、経済的な利益だけでなく、事業や活動が「社会の中でどんな成果をもたらしているか」が重視されるようになってきました。環境や社会への配慮のある企業への「ESG投資」も急増してきています。 私たちは、ロジックモデル(※)の枠組みを使いながら、「めざす社会的な成果の言語化」を行い、「成果と打ち手の整理」をします。指標の設計も行い、事業がどんな未来に繋がっているのかを1枚に整理していきます。

※施策がその目的を達成するに至るまでの論理的な因果関係を示したもの

引用:&PUBLIC 「THE IMPACT」

 

ただ、ロジックモデルは一度作成して終わりではありません。現場での実践と得られた気付きをもって、定期的にロジックモデルを練り直していくことが大切です。 社会課題解決や社会価値創造のための改善サイクルを「社会的インパクト・マネジメント」とよびますが、「パーパスボード」では、実行と測定、検証と改善を行いやすくすることで、社会価値を最大化するインパクトマネジメントツールです。

「パーパスボード」のイメージ画面

長友さんはどういった役割を担うのでしょうか?
私は、代表取締役CHRO(Chief Human Resource Officer)として、研修開発やインパクトマネジメントのできる人材やファシリテーターを含めた組織づくりを担っていきます。 楽しくヘルシーなチームを作りながら、世界にとって存在意義のある会社を仲間と共に作りたいです。 まずはインパクト投資を受けている企業やNPOを中心に使っていただき、自治体にも当たり前に導入していただける未来を目指して、目の前にあることを一つ一つクリアしていきたいですね。

5歳の娘さんと。仕事も子育てもバランスを大事にしながら楽しんでいる

 

最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
人生には、光と影どちらもあります。嫌なことが続くと「なんで私ばっかり」と、暗黒がずっと続くような感覚にもなります。だけど、闇はいつか明けるし、そんな影があるから光が輝くんです。 私自身、20代や30代(もちろん今も)、たくさんの失敗や痛みがありました。人を傷つけてしまったり不義理をした後悔や無念もあります。ただ、当時の私も誰かを傷つけようと思ってやったのではなく、不器用なりに精一杯に生きていたんだと認めて、赦してあげることで、愛からの行動を起こせるようになりました。私自身は、その積み重ねでずいぶん昔より生きやすくなりました。人生は面白く、振り返ってみるとすべての点と点が繋がり、豊かな人生の物語になっています。願う未来は、一足飛びには実現しないけれど、一歩踏み出した足の延長線上にはきっとあるはず。 最後に、みなさんへ質問をプレゼントして終わりにします。 「なりゆきの未来ではなく、あなたが心から願う未来はどんな姿ですか?」


 

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