夢への一歩は、口に出すこと。好きは力に変わるから
CULTURE
ラジオパーソナリティコレナガカオリさん
宮崎県を拠点に、ラジオパーソナリティや司会業を手掛けるコレナガカオリさん。エフエム宮崎・JOYFM「レディオパラダイス耳が恋した」では月曜日のパーソナリティを務め、各種イベントMC、CM出演やテレビのレポーターなど、活躍の場は多岐に渡ります。 学生時代に夢がなかったというコレナガさん。20代に入り見つけた「ラジオパーソナリティになる」という夢を、30歳にして実現しました。どのように夢を見つけ、叶えることができたのでしょうか。詳しくお話を伺いました。
夢に出会えなかった学生時代。働く喜びを知った、アルバイト
自己紹介をお願いいたします!
フリーのラジオパーソナリティをしています、コレナガカオリです。都城市出身、1988年1月生まれの35歳です。
ラジオパーソナリティやナレーション、イベントの司会やレポーターなどのお仕事をさせていただいています。プライベートでは、2児の子育てをしていますよ。
幼いころから「ラジオパーソナリティ」になりたかったのですか?
いいえ、学生時代はこれといった夢はありませんでした。
宮崎県都城市の小中学校を卒業後、宮崎県立都城工業高等学校インテリア科に入学。何となく「こんな仕事をしてみたいな」とか「こんなものになりたいな」っていうふわっとしたものはありましたが、夢は何かと聞かれた時に答えるような夢はありませんでした。
小学生のときに父を亡くし、母子家庭で育ったこともあり、正直あまり裕福な家庭ではありませんでした。母は愛情をもって育ててきてくれていたので、とても感謝しています。不満はありませんでしたが、家族を養うために毎日忙しく働く母、家事や家のことは私や兄妹でこなす日々。何か買って欲しいものややりたいことがあっても、なかなか言えなかったというのも正直ありました。
学生時代の経験で今にいきていることはありますか?
高校生のときに学校に許可をいただいて様々なアルバイトを経験したのですが、自分で働き給料をいただく経験ができたことはすごく大きかったです。当時の自分にとって、働いてお金がもらえることは、とても特別で幸せなことでした。
稼いだお金で自分の欲しい物が自由に買える。大人と対等になれたように感じていました。
コンビニエンスストアやスーパーで働きましたが、コミュニケーション能力が養われ、学校生活だけでは得られない経験ができたと思います。今のお仕事にもつながっている部分です。
ラジオと出会い、夢となった。語ることが叶える第一歩に
高校卒業後は、19歳で第1子を出産。子育てをしながら、子どもとの生活のために働く日々を送っていました。保育園に預けてから、朝から晩までお迎えの時間ギリギリまで働く。そんな毎日が続いていたんです。
コールセンターや事務、化粧品の商品企画など、様々なお仕事をしていました。どれも選択の基準は子ども保育園の都合が第一。自分が好きだからやっていたかというと、正直そうではなかったかもしれません。
いつものように、早くお迎え行かなきゃと保育園に向かっていた車内で、ふとラジオを聴いたことがあって。そのときに流れていたのが、エフエム宮崎・JOYFM「レディオパラダイス耳が恋した」でした。
それが「ラジオとの出会い」だったのですね。
そうですね。当時22歳くらいでした。大げさに聞こえるかもしれませんが「こんなにおもしろいものがこの世にあったんだ!」と思うくらいに衝撃を受けました。
そこから毎日のように仕事終わりにラジオを聴くようになりました。家でも聴くようになり、次第に好きな番組にメッセージを送ったり、イベントに行くようになったんです。リスナーとして楽しむようになりました。
いつから「ラジオパーソナリティ」になりたい、という気持ちになったのでしょうか?
ラジオを聴けば聴くほど、また年齢を重ねていく中で、「ラジオで話す仕事がしたい!ラジオパーソナリティになりたい!」という気持ちがどんどん大きくなっていきました。最終的には「レディオパラダイス耳が恋した」に出たい。人生初の「夢」でしたね。
でも、当時私は20代後半。子どももいるし、ラジオパーソナリティになりたいと発言することが恥ずかしく感じ、なかなか動き出すことができていませんでした。
だけど、自分の子どもに、私自身が好きに正直に生きるところを見せてあげたい。逃げちゃだめだって思って。思い切って、当時やっていたFacebookやブログでラジオパーソナリティになりたいと発信し、周りの人にも口に出して夢を語るようにしたんです。
自分の好きに正直に「夢」を思い切って発信することは、かなり勇気がいったのではないですか?
そうですね。最初はものすごく迷いましたし、勇気がいりました!投稿前にまずは下書きして、ドキドキしながらアップしたのを覚えています。
でも、そうやって周りにまず伝えることで、みんなが「コレナガカオリはラジオが好きで、パーソナリティがしたいんだ」って認識してくれるようになる。「いいじゃん、応援するよ」って言ってくれる人も出てくる。そうするともっと動き出せるようになる。
口に出してみるって夢実現への第一歩だと思いますね。
実際、ラジオパーソナリティになったきっかけは何だったのですか?
エフエム宮崎のラジオパーソナリティオーディションでした。
最初書類審査があったのですが、実は1回目落ちたんです。でも、諦めずに再度チャレンジしたところ、採用していただきました。
しかも、パーソナリティとして担当することになったのは「レディオパラダイス耳が恋した」!30歳にして、夢を叶えることができたんです。ものすごく嬉しかったです!
「レディオパラダイス耳が恋した」はどんな番組ですか?
通称「耳恋」と呼ばれ、メインDJをシローさんこと濱田詩朗さんが務める、今年で25年目に突入したラジオ番組です。
毎週月~木曜日の17:15-19:55、約3時間の生放送で、パーソナリティーの話はもちろんのこと、リスナーさんからのリクエストもユニークで、みんなで一緒に作り上げている独自の世界観を持ったエンタメ番組です。
どんな思いでパーソナリティを務めていますか?
一回一回を大事に全力で、絶対に手を抜かないことを心がけています。
偶然ラジオを聞いた人が、そのときにおもしろいと思ったら、もしかしたらずっと聴いてくれるかもしれない。でも逆に、その回がおもしろくなかったら、そのまま一生聴かないかもしれない。
だからこそ、すべての回が、私が受けた衝撃の一回のようになるよう取り組んでいます。
あとは、シローさんから最初に「できないって言っちゃだめだよ」とアドバイスをいただいて、どんなリクエストにもお応えするようにしています。
ぶっちゃけ滑ることもあります(笑)!でも逆にそれを楽しんでいただけたりするので、私が何か一つアクションを起こすことによって、リスナーさんからまたアクションが起こる。思い切ってやってみることで、色んな縁が繋がっていくんだなと感じています。
これまでどんな大きなアクションがありましたか?
コロナ禍でみんなを楽しませたいと作った歌「ちりめんこの歌」は大きかったです。歌は得意じゃないのですが思い切って作詞を手掛け、歌いました。
各種ダウンロードサイトでリリースされている
個性的な声に皆さん「なんじゃこりゃ!」ってなって(笑)。楽しんでくれましたね。昔の自分は、人前で歌うことなんて絶対なく、こんなことが起こるなんて1ミリも思っていなかった。この曲を出せたのも、ラジオがつないでくれた縁。
今の私は全てがラジオから始まっていて、ラジオから生まれていて、色んな縁もつないでくれたのもラジオだなって思っています。
「好き」がポジティブな視点をくれる。あなたはひとりじゃない
信じてもらえないかもしれないんですけど、私は元々かなりネガティブな人間だったんです。
例えば、友達と喋っていて、何か私が一言発したときに、相手の表情や空気が変わると「やばい」って思っちゃって。そのあとも普通に話はするんですが、「今の一言で相手を傷つけちゃったかもしれない…」って眠れなくなっちゃったりしてました。
周りの目を気にするあまり、高校生のときには胃潰瘍になったほどでした。特に学生時代は、自分に自信が持てない子でした。
何がきっかけで、ポジティブに切り替えることができるようになったのですか?
子どもを産んだことが大きかったですね。子どもは私を見て育つので、私が私を好きでいなくちゃいけないって向き合うようになりました。落ち込むことがあっても、前を見て生きていこうって活力になっています。
あとは、大好きなラジオの世界を知り、ラジオの世界で働けていることが大きいですね。自分の好きに出会えると、人はかなり成長するなって思っています。
ラジオに出会う前までは、何かにのめり込むことはなく、何かしらを理由にして逃げちゃっていました。でも今は、好きに正直に生きることができてる。だからこそ、何事にも前向きに取り組むことができていますね。
最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
もしあなたが自分の「好き」や「夢」を見つけたら、ぜひまずは口に出してみて欲しいと思います。夢は見ているだけだと叶いません。動くことで、必ず前に進みます。諦めずに、アクションして欲しいですね。
ラジオパーソナリティをする中で、陰口を言われたり人間不信になるようなことがありました。だけどそれ以上に、応援してくれる人や支えてくれる人がいる。その人のために頑張ろうって思っています。何かしんどいことがあっても、目の前のことに懸命に取り組んでいたら、必ず見てくれている人がいます。
そうは言っても、自分は今ひとりぼっちだ。誰も支えてくれる人がいないって思うのであれば、私がいます。ぜひ気軽に、ラジオにメッセージを送ってみてください。あなたが辛い時はラジオで一緒に遊び、笑いましょう!
数年経ってまたラジオをつけたとき、また私の声が聞こえて「この人まだラジオをやっているんだ。あの時、あんなこと言ってたな」って思ってもらえるよう、これからも私は全力でラジオと向き合い、一生ラジオの仕事をすることを夢に頑張っていきます。