当たり前を一緒に作る奇跡を、毎日積み重ねよう
WORK
どすこいファーム親方 齊藤悠一さん
宮崎市田野町にある「どすこいファーム」。田野町独自の寒暖差や日照時間など、土地の強みをいかし、オリジナルブランドのスイートコーンを栽培しています。こだわりの栽培方法で育てられたスイートコーンは、他とは違う美味しさだと話題を呼んでいます。農園を経営するのは、埼玉県からの移住者齊藤悠一さん。幼い頃や学生時代の体験をきっかけに、農業に従事することを決めたといいます。経緯や思いを詳しく伺いました。
幼いころから夢中になった、家庭菜園
自己紹介をお願いいたします!
宮崎市田野町で「どすこいファーム」という農園を経営しています、齊藤悠一(さいとう ゆういち)です。埼玉県出身、1991年2月生まれの32歳です。
農園で手掛けているのは、スイートコーン。大きさだけでなく、ジューシーな甘さが売りで、収穫したばかりのものは生でも食べられるほどなんですよ。
幼いころから農業には興味があったのでしょうか?
そうですね。父が庭のプランターでお花や野菜を育てており、よく手伝わされていました。自分で作った食べ物を収穫する喜びを知れば知るほど、家庭菜園に夢中になっていきました。
中学3年生になると、園芸店に自分で行き、苗や花を買ってきて、自分でアレンジしていましたね。テレビのガーデニング番組を観て勉強し、イングリッシュガーデンを作ったりもしていました。
高校時代には、家庭菜園では飽き足らず、入部していた弓道部の道場の周りを先輩と一緒に整理して、花壇にしていたくらいでした。植物を育てることが大好きでしたね。
当時の思いが今にも引き継がれて、仕事に直結している部分もあります。
学校は農業系に進学されたのですか?
普通科高校へ進学していました。
伝統的に「自由」を重んじる高校で、頭髪や服装は全部自由。生徒が自分たちで考え、自分たちで行動し、自分達で課題は解決していきなさいという学校でした。
勉強するもよし、部活に熱中するもよし。全て自分で選択しなさいという方針でした。勉強そっちのけで、弓道部に熱中し、3年間ひたすら弓を引き続けた学生生活でした。
その後、大学へは進学されたのでしょうか?
はい、国際関係を学べる大学に進学しました。叔父が海外支援事業を手掛ける会社に所属しており、発展途上国の支援を行っていて、興味のある分野でした。
しかし、受験には苦労したんです。
部活に傾倒していたこともあり、勉強をあまりせず成績が悪かった。いくら勉強しても、よくなることはありませんでした(笑)。一方で、人前で話し自分のことを伝えることには長けていました。
自己PRのみのAO入試で受験できる学校があることを知り、そこを受験しました。
入試は、卒業式の翌日でした。頭髪は何をしてもOKの学校だったので、アフロにしたんです。学校ではかなり盛り上がり、1日だけでアフロを終わらせるのはもったいないと、受験の日もそのままアフロで行きました(笑)。
他を受験することができない背水の陣状態でしたが、これも第1印象につながればいいなと思っていました。
案の定、おもしろがってくださった先生とそうでない先生と両方いらっしゃいました(笑)。人生の年表を出し、自分はこんな風に生きてきて、大学ではこんなことをしたいとお話しました。
おもしろがってくださった先生が、面接の最後に「じゃあまた大学で会おうね」といった声をかけてくださって。無事入学することができ、今でもその先生とは連絡を取り合う仲です。
海外で触れた「Up to you」が価値観を変えた
大学2年の20歳のとき、留学かワーキングホリデーにいける機会に恵まれました。
アカデミックに言語を学べる「留学」か、現地の文化に触れ実際に働く体験のできる「ワーキングホリデー」か。先輩方の話を伺い、自分は勉強以上に文化に触れたいと考え、ワーキングホリデーを選択しました。
どの国に行かれたのですか?
オーストラリアです。初めての海外で、長期滞在の一人暮らし。様々な大変さを感じながらも、海外の文化に触れ、価値観が変容していくのを体感する日々でした。
オーストラリアの人たちは、自分の軸をしっかり持っている。「”君”がそう思うならいいんじゃない?”あなた”が楽しんだらいいんじゃない?」とお互いを尊重して、誰かに流されず個として確立されている印象でした。
よく「Up to you」っていう言葉を投げかけられて、「全てあなた次第」といった意味合いなのですが、自分が良くなるのも悪くなるのも、自分次第。変わるためには、自分次第だなって感じましたね。
「僕は、半年働いて半年バケーションしてるんだ」と日本では考えられないようなライフスタイルを送っている人も多かった。当たり前が良い意味で変わった約1年でした。
この体験から、大学での学びもより主体的に、そして能動的に学ぶことができました。新しい世界に変わった気がしました。
大学卒業後、宮崎に移住されていらっしゃいますが、きっかけは何だったのでしょうか?
実はオーストラリアで、サーフィンにハマってしまって。沿岸に住み、毎日朝昼夕方業務や勉学の間にサーフィンする生活を送っていました。
そんな中で、宮崎出身で同じくオーストラリアに来ていた妻と出会いました。宮崎の波が良いことも知り、帰国後は長期休みを使っては宮崎に行く日々が続き、移住をしようと決心しました。
海のない埼玉県で生まれ育ち、温かい海のある生活に憧れていたのも大きかったですね。就職活動で宮崎の一般企業に内定をいただき、いざ宮崎に根付いて生きていこうと思っていたとき、大病を患ってしまいました。
就職前の健康診断で、胸元に影が映り、再検査。その後、悪性腫瘍だとわかりました。
まだ22歳だったので、まさかこんな若さで自分がなるとは…とかなりショックで、落ち込みました。結果を内定先に伝えたところ、内定も取り消しに。一層落ち込みました。
若くしての大病。かなりしんどかったと思います。当時はどんなマインドで向き合っていらっしゃったのでしょうか?
常にサーフィンのことを考えていました。つまり、自分の大好きなことですよね。
どんなに投薬治療や手術で苦しくても、頑張れば、次は海であれができるかもしれない。今は、波の中で揉まれているような苦しい状況だけど、我慢できればパって息できるような、そんな状況なんだって言い聞かせていました。
筋トレできるときには筋トレし、身体が動かなければYouTubeを観てみたり。イメージトレーニングをして、ポジティブに意識を持っていっていましたね。
加えて、支えてくれた妻や友人の存在、そしてこの宮崎って豊かな環境があったおかげで、なんとか闘病を乗り切ることができました。
今はもう完治されたのでしょうか?
そうですね、最終治療から5年経っており、完治しています。
再発を繰り返す中で、食事療法という考え方に出会いました。外科的医療だけでなく、食べ物から変えていくものなのですが、農薬を使った食物をできるだけ避け、フレッシュな食べ物を食べる。加えて、お肉ではなくなるべく魚を摂るというものでした。
私にはその療法が合ったのか、ピタッと再発することなく今に至っています。改めて、食の大事さに気付いたときでした。
そこから農業に携わるようになったのでしょうか?
実は、一般企業の内定が取り消しになり、これはもう自分でやるしかないと思い、治療をしながら農業を学びに行っていました。様々な農家さんに修行に行かせていただいて、治療についても理解していただきながら、技術を学んでいきました。
そして6年前、宮崎市田野町で就農。家庭菜園のころから育てていた、スイートコーンを育てることにしました。
土壌にはかなりこだわっており、植物そのものを肥料の一種として利用する「緑肥」を使い、微生物の活動を活発にする土作りを行なっています。また、栽培期間中は除草剤を使わずに、手や機械を使って除草しています。
様々な方から「こんなに美味しいのであれば、オリジナルブランドとして売っていったほうが良い」「ここのスイートコーンは他とは違う」とアドバイスや高い評価をいただけるようになりました。
確かに、経営のことを考えても独自ブランド化は必要だなと感じていました。しかしながら、かなり勇気のいること。たくさんの先駆者の方にアドバイスをいただき、ご協力いただきながら一歩踏み出すことができました。
そして、3年前に誕生したのが「どすこいファーム」です。
なぜ「どすこいファーム」という名前にされたのでしょうか?
デザインやブランディングをお願いした方と共に考えました。
コーンの美味しさがわかるようなオリジナルの名前をつけようとなり、何個も何個もアイディアを出しました。そんな中で、私と妻が好きだった「相撲」に関する言葉を出したのです。
番付に例えた表現でコーンの大きさや美味しさを表せばわかりやすいね、となりました。農園の名前も◯◯部屋という言い方もできたのですが、よりキャッチーで呼びやすいものをと考え「どすこいファーム」になりました。
デザイナーさんが、私たちの想いや情報を全部吸い上げてくださり、我々の人柄やこだわりもしっかり汲み取ってくださって、こういう形にまとめてくださったので、本当にありがたいですね。
当たり前を一緒に作る奇跡を、毎日積み重ねよう
農業に従事する魅力はどういったところでしょうか?
様々な農園で知識や技術を学ばせていただきましたが、実際自分がやってみると一切通用しない。場所が違えば、光の当たり方や風の通り具合、土壌など、土地の個性も異なってくるんですよね。まずはその特徴を掴むことから始めないといけません。
ベテランの先輩方は、肌感覚でそういった点がわかるんです。いくら数値取りしてもわからない感覚。このタイミングで除草したほうがいい、このタイミングで肥料をあげたらいい、風や雨の対策など、土地のリズムがある。
そのリズムを掴めて、バシッと合わさったとき、惚れ惚れするようなコーンが収穫できるんです。その瞬間はものすごく嬉しいです。今はお客様の声もダイレクトに届くので、喜んでいただけて本当に嬉しいなと感じます。
最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
月並みなことですが、闘病の日々を通して、今生きていることは当たり前なことじゃないんだなって感じました。「明日、目覚めないかもしれない」なんて考えて寝る人ってほとんどいないじゃないですか。でも、それって大いにあり得ることなんです。
人生は思ってるほど長くありません。いつか必ず終わりが来ます。今一瞬一瞬の君たちの選択で、全てが変わってきます。自分の中の声を聞き、本当の気持ちはどうなのだろうと疑問を持って問いかけていくことで、きっとより良い自分になっていきます。
何か困ったことがあったら、遠慮なく近くにいる友人や家族に声をかけてみてください。きっと素晴らしい答えが返ってくると思います。もちろん私もそんな一人。何か困ったことがあれば、ご連絡ください。相談に乗りますよ。
今生きていられるっていうことは素晴らしい。当たり前を一緒に作る奇跡を、毎日積み重ねていきたいですね。