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スポーツランドみやざきを「アーバンスポーツの聖地」へ

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みやざきアーバンスポーツ推進実行委員会 専務理事西田和広さん

2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会で、初めて正式種目に選出されたBMXやスケートボードなどのアーバンスポーツ。日本人選手勢が大活躍したことで大きな注目を集めました。幼少期から自転車に夢中だったという、西田和広さん。宮崎をアーバンスポーツの聖地にしたいと、協会を設立し魅力を発信。宮崎県の独自リーグを主催するなど活動を続けてきました。経緯やこれからの目標について、詳しく伺いました。

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転校が多く、「自転車」が友達だった学生時代

自己紹介をお願いいたします!
西田和広(にしだ かずひろ)といいます。宮崎県高鍋町出身、1982年生まれの40歳です。 幼い頃から自転車に乗り始め、現在はBMX(※)やスケートボードなど、アーバンスポーツに関連する活動を仕事にしています。

※BMX(ビーエムエックス、ビメックス)とは、Bicycle Motocross(バイシクルモトクロス)の略。自転車競技の一種及びその競技で使われる自転車のことを指す。

どんな学生時代を過ごしましたか?
親が公務員で、県内各地への転勤が多い家庭でした。小学校は宮崎市佐土原町にある宮崎市立広瀬小学校に、中学校は宮崎県東臼杵郡にある門川町立門川中学校に進学しました。 引っ越しが多い分、友達を作るのにとても苦労した思い出があります。帰宅後は毎日、ひとりで自転車に乗ったり、黙々と整備をしたり。勉強やスポーツはあまり得意ではなかったのですが、自転車には夢中でした。 「自転車が友達」というような感じでしたね。
高校はどのような進路を選択されたのですか?
自転車を整備することが好きで、将来は機械関係の仕事をしたいと思っていたので、宮崎県立日向工業高等学校の機械科に進学しました。その後、大阪航空技術専門学校に進学し、航空機の整備技術について勉強していました。 しかし、ちょうどその頃、アメリカ同時多発テロ事件が起こったんです。航空機がハイジャックされ、ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州のアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)が攻撃されました。大きな犠牲者を出し、世界に衝撃が走りました。 その影響で、希望していた航空機関係の求人はほとんどなくなってしまったんです。 それでも、航空機関係の仕事に携わりたい!という気持ちが変わることはありませんでした。 専門学校を卒業後は、派遣社員をしながら求職活動を続け、半年後にようやく愛知県の小牧空港(現・県営名古屋空港)にある航空機製造工場に就職することができました。 工場では、ボーイング777の垂直尾翼の取付部分を担当していましたね。
その間も、自転車は続けられていたのですか?
そうですね。学生や会社員をしながら、BMXの全国大会にもチャレンジしていました。 特に、専門学校に在学中、初めてBMXを一緒にできる友人ができたことは、大きな出来事でした。宮崎にいた頃は、周囲にBMXを知っている人がいなかったので。自分が好きなことを共有できる友人ができたことがとても嬉しくて、BMXにどんどんのめり込んでいきましたね。 友達と自転車の練習をしていると、時間が経つのも忘れるほど。気づいたら朝になっていたということもありました。

ライフワークを事業に。「ありがとう」の笑顔が原動力

どのようなことがきっかけで宮崎に戻られたのでしょうか?
結婚して子どもが生まれたことがきっかけです。 パートナーも宮崎出身で高校時代からお付き合いしている方でした。宮崎で子育てをしたいという思いがあったんです。当時22歳くらいだったと思います。 宮崎に戻ってはじめの頃は、周囲にBMXを一緒にできる人がいなくて、苦労しました。そんな時に、祇園スポーツパークが整備されたので、ボランティアで子ども向けの自転車教室を始めたんです。 大規模なパークで、利用者も多いのですが、過去にはヘルメット着用義務の無視や、落書きの問題でパークが閉鎖されたこともあったんです。ルールを守ってもらうため、呼びかけ活動を行ったこともありました。 会社員をしながら、宮崎ストリートスポーツ振興協会を発足させたり、ボランティアでアーバンスポーツ関係の活動をする、という生活を10年ほど続けていましたね。徐々にアーバンスポーツに関する業務量が増え、活動に専念するために2022年に独立しました。
現在は、どのようなことをお仕事にされているのでしょうか?
主に、宮崎にアーバンスポーツを普及させるための活動を行っています。子どもたち向けの講座やイベントを開催したり、BMXのクラブチームの運営や、宮崎ストリートスポーツ振興協会の仕事全般に携わっています。 また、宮崎県独自リーグ「アーバンスポーツみやざき2023」を主催しています。
県内のアマチュア選手が競う、宮崎県独自リーグ「アーバンスポーツみやざき2023」公式ウェブサイト
8月27日(日)の独自リーグ開幕戦は、宮崎市のイオンモール宮崎ヒナタテラスで行われました。
開幕戦のセレモニーには、スポンサーのイオン九州㈱代表取締役 柴田社長や、宮崎県から佐藤副知事、綾町から松本町長などが参列した
はじめての独自リーグ開催に緊張感を持って準備に励む、西田さん
選手の皆さんによる堂々としたパフォーマンスが繰り広げられた
セレモニーや競技には、たくさんの観客が集い、盛り上がりを見せました。少しずつ関心が高まっているのを感じましたね。大会は、12月まで続きます。 引き続き、「スポーツランドみやざきをアーバンスポーツの聖地へ」​という大きなテーマのもと、宮崎から世界に飛び立つアーバンスポーツのアスリートが続々と輩出されるよう活動していきたいです。
10年間ボランティアで活動を続け、独自リーグまで実施できたというのは、本当にすごいことだと思います。
何がそのモチベーションに繋がっているんですか?
単純なのですが、「ありがとう」といってもらえるのが嬉しかったんです。​ 例えば、子どもたちを指導する機会があると、満面の笑顔で「ありがとうございました!」と伝えてくれるんですよね。そういったことが力になって、ずっと続けてこれました。 あとは、「意地」の気持ちも大きいのかな。 会社員をしながらBMXの大会に出ていた頃は、早朝から練習をして会社に行き、帰宅後や休日も練習時間に費やしていました。でも、たとえ持っている時間を全て練習に充て、大会で入賞しても、「遊びの延長」と見られてしまうことの方が多かった​んです。知名度が高い競技だと、そうはならない。遊びではなく、スポーツとして認識してもらえますよね。スポーツビジネスとしても成立することで、年俸の面でも大きく差が開く。 同じスポーツなのに、どうしてこんなに差があるんだろう​という気持ちがありました。 同じような悔しい思いを、後輩達や、これからBMXを始める子どもたちにさせたくない。​絶対に仕事として成立させたい、という使命感が大きいのかもしれません。

宮崎でもスポーツビジネスを。自転車を「競技」として認知させたい

BMXやスケートボードなどのアーバンスポーツがオリンピックの正式種目に選ばれた時は、どんな気持ちでしたか?
「すごいことが起きている」と思いました。以前は、大会で入賞しても、周囲からスポーツと見てもらえることが少なかったので。 オリンピック種目に選出される少し前、2018年に広島県でアーバンスポーツの世界選手権「FISE WORLD SERIES Hiroshima2018」が開催されました。日本人のBMX選手も大活躍し、スケートボードストリートジュニアクラスでは宮崎県の選手が優勝するのを目の当たりにしました。会場には8万6千人が来場し、風向きが変わってきていると感じたことを覚えています。 その後すぐ、BMXやスケートボードが東京オリンピックの正式種目に決まって。アーバンスポーツが競技として認知されつつあることを嬉しく思うと同時に、ちゃんとスポーツとして見てもらえるのか世間の反応が怖かったですね。
東京五輪では、選手同士の讃えあう姿勢などがとても評価されていましたよね!
オリンピックでは日本選手も大活躍したことはもちろんですが、互いの健闘を喜び合う姿勢を評価していただけたことが、とても嬉しかったです。 大会なのでどうしても順位がついてしまうのですが、プレーヤーにとっては順位を争うよりも、練習してきたトリック(技)をどう魅せることができるかが、一番の目的。 トリックが成功したときには、互いに喜び、讃え合う。そこがBMX競技の魅力なのかなと思っています。
BMXをやっていて、楽しい瞬間はどんなときですか。
BMX競技の技って、習得するのに時間がかかるんです。 僕の場合だと、どんなに練習しても最低1ヶ月、難しいものになると成功するまでに3年間かかった時もある。なかなかできない技が成功したときは嬉しくて、一人でお祝いしています(笑)。
これからの目標を教えてください。
アーバンスポーツの競技人口はどんどん増えているのですが、宮崎ではスケートパークの場所がまだ足りていない。若い子たちが、街中や駅前など禁止されている場所でスケートボードをするなど、トラブルが増えています。 スケートボードや自転車を好きな若者や子どもたちが、思う存分練習できるように、パークを増やすための活動をしたいと思っています。スケートボードは、もともとサーフィンの陸上トレーニングとして始まりました。宮崎の環境との相性も良いですし、もっとサーフィン競技とも連携していけたらいいですね。 また宮崎は、交通事情から自転車で通学する学生が多いこともあり、登下校中の交通事故も多いと聞きます。子どもたちに、自転車などの安全な使い方やマナーなどを教える機会も増やしたいです。 宮崎では、スポーツビジネスはまだまだ成長過程。スポーツは趣味や部活動の延長線上にあり、対価としてお金を払うという文化が根付いていません。アーバンスポーツを、「遊び」から「スポーツ」として認識してもらい、未来の子どもたちのためにスポーツビジネスとして発展させることも目標です。
最後に、宮崎の若者へのメッセージをお願いします。
僕の場合、好きなことを続けていたら、それがいつの間にか仕事になっていた。勉強は嫌いだけど、好きな自転車のメーカーだったら1回で覚えられる。そういったことが「好き」の力だと思います。 そうは言っても、自分が何を好きか分からないこともありますよね。 そんな時は、例えば「Instagramでいつも何を見ているかな」と考えてみるのもいいと思います。どんな部分が好きなんだろうと自分を客観視することができます。もし部活動に所属しているなら、部活の中の自分を考えてみて、どんなときに力が湧いてくるか考えてみましょう。逆境に追い込まれる環境だと力を発揮できるとか、自分のことがわかると思います。 みんなそれぞれ、好きのポイントやモチベーションが上がるポイントは違います。日常の中に転がっている自分の「好き」に気付いて、それを強みに変えることができたとき、道が拓けてくるのではないでしょうか。

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