探究の時間を生徒と共に探究する!チーム"TOY"とは?
CAREER
宮崎市立宮崎中学校・宮崎市内高校鬼塚拓先生・濵田遥乃さん
生徒と共に探究の時間を探究する、チーム「TOY」。誕生のきっかけは、生徒の異議申し立てでした。当時、宮崎大学教育学部附属中学校に勤めていた鬼塚先生。学内や社会の組織や人を知り、ニーズを探ることで、自分がしたいことや未来のキャリアを考えていくカリキュラムを行っていましたが、そこに生徒から『No』が出されます。「TOY」が誕生した経緯、そしてどんなカリキュラムが生まれのか、詳しく伺いました。
そのカリキュラムに異議申す!チームTOY誕生の経緯
まずは、自己紹介をお願いします!
宮崎市立宮崎中学校で社会科教員をしています、鬼塚拓(おにつか たく)と申します。
宮崎大学教育学部附属中学校を卒業後、現在は宮崎市内の高校に通っています、濵田遥乃(はまだ はるの)です。
鬼塚先生とは中学校の時に出会いました。3年間ずっと社会の教科担当、総合の時間の担当をしてくださっていました。
私は宮崎市立宮崎中学校の前に宮崎大学教育学部附属中学校に赴任していました。そこで、社会科の授業の中でキャリア教育や探究などの「総合的な学習の時間」を担当していたんです。
オリジナルで考え抜いたカリキュラムで、タイトルは『君たちは宮崎のためにどう生きるか』。
最終的なゴールは『子どもたち一人一人が自分が将来やってみたい仕事を自分で創り出す』というものを設定していました。宮崎県の学校なので、宮崎に還元でき、貢献できるような人材が、育成できたらという思いがありました。
1年時には、自分たちの学級の中の仕事「委員会活動」について考える機会を作りました。クラス内で生活する皆のニーズを捉えて、どんな新しい取り組みが考えうるかアイディアを出し合うものでした。仕事を創造するトレーニングのようなものです。
そして2年時には、視野を社会に広げて、具体的に「社会にはどんな仕事があるのか」を、働く人に会ったり色々な媒体を通じて、発見分析していくものでした。最終的に、2年の後半から3年生最後にかけて、「自分がやりたい仕事をどう創り出していくかを考えていく」というカリキュラムでした。
練りに練って考えた内容だったのですが、濵田さんが2年のとき「ちょっとこのカリキュラムはおかしいんじゃないか?」と意見を言ってきたんです。
かなり考えられたカリキュラムのように感じましたが、どういった点が気になったのでしょうか?
1年生と2年生の前半までは、あまり疑問や不満はありませんでした。しかしいざ、中学校2年生の後半になり「自分はじゃあどんなことがやりたいですか」と問われた時に、「宮崎のために」という言葉が引っかかったんです。
何を考えても、これは宮崎のためにはならないな…と感じ、うまくいかないことがすごく多かった。「宮崎のために」という命題に囚われてしまい、都合のいい結果をつくるために本当にやりたいことをやれていない友達も多かったです。
自分たちはこういうことがしたいけれど、それは「宮崎のため」になるのかと言われるとそうじゃない。本当にやりたいことが歪んでいく感じがしました。
そういった状況を見て、「宮崎のために」という制限が生徒の探究の幅を狭めてしまっているんじゃないか、と先生に異議申し立てしました。
先生なりに考え抜いたカリキュラム。意見をいただいたときどんなお気持ちでしたか?
正直、なんてことを言ってくれるんだ!という思いでした(笑)。入学する数年前から入念に練っていた内容。結構自信もあったので、ショックでしたね。でも一方で、嬉しさもありました。
嬉しさ、ですか?
はい。自分が作ったカリキュラムを理解してもらっていないと、異議申し立ては出てこない。しっかりと理解してもらっているんだなっていう。嬉しさが1割。9割は「なんてことを言い出すんだ!」っていうのがありましたが(笑)。
レポートの中には「宮崎からのスタートは絶望的」という言葉がありました。「宮崎のために」っていうところが、一番の意義の核でもあったので、それを抜いてしまったらカリキュラム自体がなくなっちゃうんじゃないかと思い、初めは2週間くらい一生懸命説得したんです。何で宮崎のためにが入っているのかを、手を変え品を変えて説明しました。が、納得はせず。(笑)
そこから、「じゃあ、あなたがカリキュラムを作り直してみてはどうか?それをあなたの探究課題にすれば良いのでは」と、カリキュラムを作るコミュニケーションに変わっていきました。そして、どういうカリキュラムだったら探究しがいがあるかというのを濱田さんが考え出していくというような形になったのが、2年生の冬ぐらいだったと思います。
3年生に上がる時に、「探究カリキュラムを探究する組織”TOY”」が生まれました。おもちゃを表す「トイ」と問いかけの「問い」をかけています。遊び心を持ちながら、探究を探究できたらという思いがありました。
先生に対して異議を申し立てる、というのは、なかなか難しいことだと思います。なぜそのように自分の意見を率直に伝えられたのだと思いますか?
1年生の時からずっと、鬼塚先生自身から「疑問や不満がでたときには、声をあげることが大事だよ」と教えていただいていました。
心理的安全性が保たれているように感じるというか、この人だったらこういうことを言ってもいいんじゃないかという気持ちがずっと根底にあったから、異議申し立てできたのだと思います。
生徒と対話し行われた、カリキュラムの再構築
その後、どのようにカリキュラムは変わっていったのでしょうか?
まず、「宮崎のために」というのは強制ではなくなりました。
「君たちはどう生きるか」という部分はそのままで、「宮崎のために」を残すかどうかは各個人の判断としたんです。残してもよいし、探究の内容によって「宮崎のために」を「○○のために」という形式で別の内容に変更してもよいとしました。そのことで、大きく探究の幅が広がりました。
活動方法についてもチーム内で協議し、最終的に探究のための4つのスペースが誕生しました。
図書館を使い、一人で黙々と探究を進める部屋「もくもくスペース」。普通教室を3つ割り当てた、対話をしながら探究を進める部屋「わいわいスペース」。中庭を使い、自然の風や太陽の光を浴びながらアイデアを生み出す部屋「のびのびスペース」。普通教室を使い、複数の教師が待機し、フィードバックを取りに行ける部屋「ぴかぴかスペース」の4つです。
それまでは、一つの教室で行っていたことをこの4つのスペースを活用することで、それぞれ自分に合った環境でできるように探究できるようになりました。
毎年12月に行っていた最終発表会についても、発表方法に選択肢を設定したり、「発表しない権利」も保障できるように設計しました。
濵田さんは、探究を探究する時間を通して、どんな学びや気付きがありましたか?
自分の中の言語化できない価値観が少しずつクリアになりました。
今現在の夢は「研究者」なのですが、自分で不思議に思ったことや謎を突き詰めていくのが楽しいと、この経験で気付けました。自分の強みや性質を活かして、これからも夢を探っていけたらいいなと思います。
チームTOYは、研究会へ。出会いと対話が生み出す価値
今後のチーム”TOY”の展望を教えてください。
今は、研究会として、引き続きチームメンバーと定期的にディスカッションを行っています。
私自身、子どもたちと共にカリキュラムを作れたことに大きな意義を感じました。だからこそ、同様のスタイルが社会に広がっていくように体系的に確立し、広げていきたいなと思っています。
生徒たちとの対話を通して、共に作り上げるカリキュラム。生徒たちの学びや満足度も高く、今後の力にかなりなったのではないかと思います。一方で、先生方の中には、探究の時間に対して難しさを感じている方も多いと思います。鬼塚先生だからこそお伝えできることは何かありますか?
総合的な学習の時間やキャリア教育などをひっくるめて、探究のカリキュラムを作ろうとする時、一番の相談相手は「生徒」です。
なので、生徒に「どうしたい?」「どう思った?」「何が嫌い?」「何がストレス?」と、思い切って聞いてみるとよいと思います。
自分では気付けなかったことがわかってきます。そんな生徒の視点を大事にしながら、これからも探究カリキュラムを作っていけるといいし、そういう場が広がっていくといいなと思います。
最後に、濵田さんから宮崎の若者へメッセージをお願いします。
私も中学1年生のときは、周りに流されやすく、自分の意見をしっかり言えていませんでした。
しかし、先生と出会い、このような経験をするなかで、自分の適正や好きなことがだんだん分かるようになり、変わっていくことができました。
今の私は、ひとつひとつの出会いを大切にすることがすごく大事だと思っています。進学などで友情関係が途切れてしまうなど、難しいことはあると思いますが、そういうものにも、ひとつひとつ、意味があるんじゃないかと思います。
出会いを大切に生きることで、自分への理解が深まっていくはずです。
鬼塚先生による、日本生活科・総合的学習教育学会 第 32 回 全国大会(神奈川大会) 自由研究発表資料
「民主主義の実践としてのカリキュラム・マネジメント ―カリキュラムを探究する組織“TOY”の開発とその実際―」はこちら