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辛い時は逃げてもいい。失敗したって、やり直せるから

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株式会社 フェニックスシステム研究所 広報企画部 エキスパート岩切隆道さん

宮崎市佐土原町に本社を構えるIT企業、株式会社フェニックスシステム研究所。システム開発を通じて、地域が抱えている課題の解決に取り組んでいます。広報企画部に所属する岩切さんは、小学生のときにプログラミングに出会い、専門学校を卒業後、フェニックスシステム研究所にソフトウェアエンジニアとして入社しました。今回は、岩切さんがエンジニアの道に飛び込んだ経緯やAI技術の可能性について詳しく伺いました。

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ゲームプログラミングに出会い、家電販売店に通った学生時代

自己紹介をお願いいたします!
岩切隆道(いわきり たかみち)といいます。宮崎県宮崎市出身、1970年4月7日生まれの53歳です。 宮崎市立大淀小学校、宮崎市立大淀中学校を卒業後、宮崎県立宮崎南高等学校を卒業しました。 宮崎工業専門学校(現・宮崎ユニバーサルカレッジ)でITについて学び、卒業後は、株式会社フェニックスシステム研究所にソフトウェアエンジニアとして入社しました。 現在は、広報企画部に所属して、ソフトウェアエンジニアとして仕事をしています。
プログラミングを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
小学生のとき、すがやみつる著「こんにちはマイコン マイコン入門」という漫画を読んで、パソコンに興味を持ったのがきっかけです。マイコンとは、マイクロコンピューターの略。マイクロプロセッサを利用した個人用小型コンピューターのことで、現在は同様の製品はパソコンと呼ばれているものです。 当時は、一般家庭用のパソコンが発売されたばかり。とても高価だったので、近くの電気屋さんに通い、そこに置いてあるパソコンを使わせてもらっていました。 アマチュアプログラマーが自分のプログラムを投稿できる「マイコンBASICマガジン」(2003年に休刊)という月刊雑誌があって。投稿されたゲームプログラムを電気屋さんのパソコンに打ち込んで、遊びながらプログラミングを学びました。 でも初めからソフトウェアエンジニアになろうと決めていたわけではなかったんです。 実は、学生時代には、バスケットボールの指導者になりたいと思っていました。
バスケットボールもされていたのですか?
はい。中学生時代、先輩に誘われたのがきっかけで、バスケットボールを始めました。 当時の顧問の先生は、学校法人日本体育大学の卒業生。国民体育大会で優勝したバスケットボールチームに在籍していたこともある方で、専門的なことを沢山教えていただきました。 先生の指導のおかげでチームも強くなり、強豪校と試合をすることも多かったです。 バスケットボールは身長が高い人が有利、というイメージがありますよね。でも、私のように身長が低いと、素早くドリブルをしてボールを動かすことができる。 自分の身体を活かしたガードというポジションで、ゲームをコントロールできるスポーツというところに魅力を感じました。
弱みを強みに変えて活躍されたんですね!
高校でもバスケットボール部に入部しました。でも、顧問の先生はバスケットボール未経験者だったので、中学時代に叩き込まれたバスケットの知識を、先生に教えることから始まりました。 そのうち顧問の先生が、チーム作りから全面的に任せてくれるようになって。プレーするのとは違う、バスケットボールの面白さを知りました。その経験が心に残り、指導者になりたいと考えるようになったんです。

受験失敗という挫折で見つけた、エンジニアになるという選択肢

高校卒業後は、指導者への道に進まれたのでしょうか?
バスケットボールの指導者を目指して、国立大学法人 福岡教育大学と国立大学法人 鹿屋体育大学を受験したのですが、受験に失敗してしまって。 というのも、希望する大学では、自分がやりたいガードのポジションの募集がなかったんです。 とても悩みましたが、選択肢がひとつ絶たれたことで、それまで見えていなかった専門学校でITを学ぶという道が見えてきて。新しい選択肢に気づくと、趣味でやっていたプログラミングの世界で自分を試してみたい、という気持ちが膨らんできました。 そのような経緯から、高校卒業後は、宮崎工業専門学校(現・宮崎ユニバーサルカレッジ)でコンピューターについて2年間学び、今の会社に入社しました。 きっと、浪人をして別の体育大学を受験する、という道もあったのでしょう。でも、浪人すると、親にお金を出してもらわないといけない。早くお金を稼いで、自立したいという強い気持ちも、専門学校への進学を後押ししたように思います。
株式会社フェニックスシステム研究所は、どのような会社ですか?
株式会社フェニックスシステム研究所は、東京に本社を置くイー・アンド・エム株式会社のグループ企業です。グループ最大のシステム開発拠点で、現在、開発メンバーが約600名ほど在籍しています。 ソフトウェアの開発がメインの業務で、幼稚園の送迎バスの置き去り防止システムや、建築業のCADシステム、新聞の文字や写真をレイアウトする組版システムなど、地域や企業が抱える多様な課題をICT(※)で解決するための取り組みを行っています。

※ICT(Information and Communication Technology、情報通信技術)は、コンピュータに関する技術を、人がより豊かに生きるために活用することを指します。

 

岩切さんは現在どのような業務を担当されているのでしょうか?
現在は、日之影町と連携しながら、一人暮らしの高齢者を見守るIoTシステムを開発しています。 また、教育事業にも携わっています。中学校を訪問してAIに関する講座を開いたり、国立大学法人宮崎大学で講師として授業をしています。
岩切さんが考えるIT技術の可能性についておしえてください。
今、ChatGPTをはじめとした、生成系AIが沢山たくさん登場していますよね。 例えば、言葉で「プログラムを書いて」と入力するとAIがプログラムを書いてくれる。言葉で「絵を描いて」と入力するとAIが絵を描いてくれる。言葉で「曲を作って」と入力するとAIが曲を作ってくれる。 これまで専門的な技術を持つ人しかできないと思われていた分野のことが、頭にイメージさえあれば、誰でも実現することができるようになってきています。 今後、AI技術がさらに発展していくことで、これまで難しかったサービスを展開することができると思います。 これまでのIT技術に、どのようにAI技術を活用して、人が豊かで幸せに生活できるようなモノやサービスを作ることができるのかを考えるとワクワクします。

辛い時には逃げてもいい。いつでもやり直せるから

入社してずっと同じ企業でお仕事するなかで、 辛いことや辞めたいと思ったことはありませんでしたか?
ありました。特に辛かったのは、エンジニアとして経験を積んだ後、プロジェクトチームをまとめる役職を任された時期です。 後輩を育てたり、プロジェクトを順調に進めることに注力する日々で、エンジニアなのにプログラムを書く業務が極端に減ってしまったんです。 プログラミングが好きで入社した会社なのに、プログラムを書くことができない。もどかしかったですね。思い描いていた環境とは違う場所にいるような気がしていました。なんで自分はこんなことをやっているんだろう、と。
本来やりたかったこととは違うことをしている、 という部分に悩まれていたのですね。
コミュニケーションの難しさも感じていました。 私は思ったことをはっきりと言ってしまう性格のため、チームメンバーと衝突したり、「一緒に仕事をしたくない」とはっきり言われてしまったこともありました。 また、チームのまとめ役として、矢面にたって不条理なことを言われる場面もあって。率直に意見を言いたいけど、それだと場を収めることができないこともありますよね。どう対応するのが正解か分からず、気持ちの処理ができなくて辛かったです。
やりたいこととは違うことをやっていて、しかもそれがうまくいかない。 そんな辛い時期を、どう乗り越えられてきたのでしょうか?
一度立ち止まり、ゆっくり考える時間をつくりました。 弊社の会社理念に、「誠実」「公正・正義」「最善の努力」というものがあるのですが、私の場合は、そこに立ち返って、自分はどうしたいのかについてじっくり考えてみたんです。 「最善の努力」とは、つまり、常にベストを尽くすということ。それって結構難しいと思うんですよね。辛い、苦しいという気持ちで仕事をして、果たして、心の底から最善の努力を尽くせるのか。そんな自問自答を繰り返していました。 するとこのままやっていてもうまくいかない、技術者に戻りたいという自分の気持ちが見えてきて。周囲に相談し、人をまとめる役職を降りて、技術者に戻してもらったんです。 その選択肢が正しいのか、当時は自信がありませんでした。頑張ってきたことから、逃げてしまっているような気がして。 でも今、好きなプログラミング業務に携わりながら、広報として、沢山の人たちにプログラミングの楽しさを教えることができています。逃げても大丈夫、その先にいっぱい道はある、そう今は思っています。
最後に、宮崎の若者へのメッセージをお願いします。
「辛いときは逃げてもいい」ということをぜひ覚えていてほしいです。 私もそうだったのですが、辛い時って、ひとりでぐるぐる考えすぎると、落ちるところまで落ちてしまう。這い上がることが難しくなって、逃げ場がなくなってしまうんですよね。 でも、辛かったら逃げてもいいということを心にもっておけば、気持ち的にずいぶん楽になると思います。逃げた後どうするかは、逃げた後に考えても全然遅くない。 また同じことをやってもいいし、ちょっと違ったなと思ったら全く別の道を選んでもいいし。 人間関係も同じだと思います。みんなと仲良くするのが良しとされているけど、それが難しい時には逃げてもいい。もし好きなことがあるんだったら、ひとりで突き詰めてもいい。きっとそれがあなたの強さになると思います。 失敗は怖い、恥ずかしいから失敗したくない、とつい考えがちですが、失敗したって大丈夫、いつでもやり直せるんですから。だから辛い時には一度立ち止まって休みましょう。 たとえ1年2年ゆっくり休んだとしても、まだまだ時間はたっぷりある。生き急がず、ゆっくり時間をつかっていきましょう。

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