100年を超え、宮崎の食を支え続ける。感謝の気持ちを胸に
WORK
株式会社ラディッシュ 専務取締役佐藤 友紀さん
\ 佐藤 友紀さんってこんな人! / ■宮崎市に4店舗!宮崎の食を支える事業を展開 ■大学時代にハマった旅行。インドでは危険な目にも! ■対話を大事にする新店舗に。感謝の気持ちを持ちながら そんな佐藤さんのこれまでの歩みとは?詳しく話を伺いました。
100年を超えて続く家業。暮らしと「食」を支える事業を
自己紹介をお願いいたします!
株式会社ラディッシュ専務取締役の佐藤 友紀(さとう とものり)です。1977年生まれの46歳です。
株式会社ラディッシュはどんな会社なのでしょうか?
株式会社ラディッシュは、1919年(大正8年)に創業した宮崎市にある企業です。
曾祖父の時代に「佐藤米穀店」として開業し、その後時代のニーズに合わせて業態を変化させながら、現在は4つの店舗を経営しています。
まず、宮崎市の繁華街ニシタチの中心にある「ラ・ディッシュ本店(中央通り)」。デリ(惣菜)やワイン、セレクト食品を販売しています。
その向かい側には、「月と和音(ワイン)」という、ワインと厳選したおつまみを楽しめる飲食店を経営しています。
カリーノ宮崎の地下1階には、デリやワイン、セレクト商品やベーカリー、レストラン「まんまーる」などが入った「ラディッシュセブン」を経営。
そして、2024年6月にリニューアルオープンを予定している「ラ・ディッシュ 大橋店」も経営しております。
佐藤さんご自身は、どんなお仕事をされているのでしょうか?
これらの4店舗全体の料理の監修や運営、企画などを手掛けています。
また、月と和音では、運営を手掛けるだけではなく、シェフとしてもカウンターに立っています。
ひいおじいさまの代から100年を超えて続く企業に生まれ、幼いころから家業の様子を見て育っていらっしゃったかと思います。当時のことを覚えていますか?
そうですね。幼いときは、「ラ・ディッシュ本店(中央通り)」のビルの4階に住んでいて。販売の手伝いに店に入ることもあったので、街や店の様子を鮮明に覚えています。
ニシタチは、休みであっても平日であっても、人で道路が見えないくらいぎゅうぎゅうに歩いていたんですよ。
父のバイタリティはものすごくて、夜中の3時頃まで店で働いて、朝7時頃自分が起きるとまだ起きてる。そこから寝て、また働きにでる。時には朝からゴルフにいったりもしていました!昔の人ってすごいですよね。気力も体力も。
そんな方たちがいたからこそ、今があるんだと思いますね。
経営を学びに大学へ。旅行業界を断念し、食の世界へ
佐藤家の長男として生まれ、幼いころから文集などにも「家業を継ぐ」という目標を書いていました。本格的に経営を学ぶため、市内の中高を卒業した後は都内の専修大学経営学部へ進学。正直、あまり勉強はしていなかったですね(笑)。
一方で、海外に行きたいという思いも強く、大学と提携しているイギリスのケンブリッジ大学に語学研修に行きました。2ヶ月ほど留学し、知り合いも増え、他の国の情報もたくさん知ることができました。
そこから休みのたびに、アルバイトで貯めた資金で、バックパッカーとしてアジア圏を中心に世界を回っていました。
バックパッカーでの体験で、何か印象に残っている出来事はありますか?
海外での様々な経験を通して、様々な国の文化や価値観を知り、とても視野が広がりました。シンガポールも今のように発展しているわけでもなく、発展途上の状態を自分の目で見れたのはとても良かったと思います。
1度、インドで怖い思いをしたこともありました。
目的地に到着してすぐ、いきなり知らない人にスラム街へ連れて行かれて。パスポートを渡すように言われ、とあるチケットを買わされ、空港に行き指定の飛行機に乗れと言われました。
パスポートを返してもらい、空港に向かいました。そこから、指示に従うことなく、旅を再開しました(笑)。
それは怖かったですね…。無事で良かったです!
海外での経験を通して旅行が本当に好きになったので、卒業後は旅行会社に就職したかったんです。でも、何社か受けたのですが、落ちてしまって。
進路を迷っていたときに偶然駅で見かけたのが「辻調理師専門学校」の看板でした。親に頼み込んで費用を貸してもらい、1年間通いました。
イタリア料理とフランス料理専門のところだったので、そこで基礎を勉強することができました。かなり厳しい環境だったので、遊ぶこともなくかなり鍛え上げられましたね。
卒業後は宮崎に戻られたのでしょうか?
まず東京にある外資系ホテル「パークハイアット東京」のキッチンスタッフとして就職し、5年ほど働きました。
当時、宮崎に戻るつもりは全くなかったんです。
でも、一度帰省してお店を手伝った際に、想像を絶する人手不足を目の当たりにし、これはまずいなと思いUターンを決めました。
28歳でした。そこから、僕のラディッシュ人生が始まりました。
時代に合わせた経営戦略。目指すのは、対話を通じて食を提案する場
ラディッシュ株式会社は、1919年の創業から100年を超えて、時代のニーズに合わせカメレオンのように業態を変えてきました。
初代はお米屋さんとして始まり、次にタバコも売る企業になりました。ニシタチが発展してきて、生活必需品や食品の需要が高まり、小さな商店「佐藤商店」に。
3代目の父の代になり、コンビニが一般化してきて、より差別化を図らなくてはならないと、雑貨や食品も「こだわったもの」を売る形に変化していきました。
確かにラディッシュというと、今でも「こだわり」のものを販売しているというイメージが強いです。
その後は、ニシタチ周辺で働く方たちの食事がないということで、惣菜事業もスタート。
はじめは牛丼やカツ丼などシンプルなものからスタートし、好評を得て、お惣菜にもっと力を入れていくことになりました。
そして、物販と製造が併設したカリーノ宮崎地下「ラディッシュセブン」を作り、食べ続けることで健康になるをコンセプトに運営してきました。
レストランブースではイベントも開催してきたんですよ。
どのようなイベントを開催されてきたのでしょうか?
宮崎市の中心市街地で「生産者と消費者を繋ぐ」ことを目的に、県内市町村の生産者をレストランにお呼びして、その素材を活用した料理を生産者の想いを聞きながら料理を食べていただくというイベントを開催してきました。
新富町から始まり、これまで12市町村のイベントを開催してきました。
純粋に美味しさを楽しむだけでなく、生産者の方の想いや生産のこだわりなどを知れる、とても素敵なイベントですね。
そうですね。
きっかけは、宮崎市でオリジナルブランド和牛「尾崎牛」を生産されている尾崎宗春さんの紹介で知り合った、日高亜矢さんの提案でした。
このお二人がいなかったら、始まらなかったですね。イベントをきっかけにたくさんの生産者との繋がりも広がり、理解も深まりました。とても感謝しています。
シェフたちも、イベントをやることでかなりモチベーションが変わりました。
それまでは、与えられた食材で決められたレシピを作っていくという受け身なものだったのが、テーマ性がでてきたことで「素材をどうアレンジしたらもっと素材の美味しさを引き出せるか」と能動的に考える力もつきました。
その反復をここ10年でやってきたので、今スタッフは皆、どんな食材がきても形にできると思いますね。とても信頼しています。
現在リニューアル中の「ラ・ディッシュ 大橋店」はどのような店舗になるのでしょうか?
商品を並べるだけではなく、お客様と「対話」する店にしたいと思っています。
良い商品があっても、食べ方がわからない、値段が高く感じるといった理由で、魅力が伝わりきらないことがあるんです。
例えば医療機関のように、お客様が食べるシチュエーションや家族構成、今のコンディションを聞いて、「であれば、この食材・商品はどうですか?」「これはこんな味がするんですよ!」と提案するようなスタイルが取れたらと思っています。
対話を通じて、お客様の要望にあった食材や商品を的確に提案できるのが理想ですね。
必需品は、激動をともにした「包丁」。休みの日は、自然の中へ
お仕事の必需品を教えてください!
この包丁です。
専門学校に入った時に、初めてもらった包丁なんです。だからもう20年以上、激闘を共にしてくれた相棒ですね。今でもメインで使っています。
休みの日はどのように過ごされていますか?
リフレッシュのために、運動をしています。昔はよくサーフィンに出かけていました。最近だとゴルフに行っています。また、料理から離れて、花や植物のある自然の中に行ったりしていますね。宮崎県内は自然溢れるスポットが多いのも魅力ですよね。
感謝することで前向きに。食のプロとして宮崎を盛り上げよう!
経営者として、シェフとして、難しいことも多いかと思います。お仕事をする上で、大事にされていることはありますか?
今は、どんなことであっても「感謝」「ありがたい」と思って過ごしています。
料理だけでなく、経営面での資金のやりくりや社内のマネジメント、対外的なやりとりを通じて、どうしてもモヤモヤすることもあります。精神的な状態が顔に出やすいのもあって、経営者としてこれじゃいかんなってずっと思っていて。
そんなときに、これまでの親のアドバイスや本の内容から、すべてのことに感謝しようと思うようになったんです。
そうしたら、だいぶ心が軽くなったというか、前向きになれるようになりましたね。悪いことでも良い方向に考えられるようになりました。
最もやりがいを感じる瞬間はいつですか?
やっぱり一番は、お客様に「美味しい」って言っていただけることですね。
そこが活動の原点、活力になっていると思います。
最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
一度県外に出て宮崎で働くというのは、とてもメリットがあるんじゃないかなと思います。外で得た知見から、多角的な視野や技術を身に着けて、それをアドバンテージにしてぜひ宮崎をフィールドに活躍してほしいですね。
レベルアップして宮崎に帰ってきて、食の業界やその他の業界から宮崎全体を一緒に盛り上げていただけると嬉しいです!
株式会社ラディッシュでは、スタッフも募集しています。食のクリエイティビティを追求したい方、「こんなことをやってみたい!」と能動的に動きたい方にはピッタリですよ。お待ちしております!
株式会社ラディッシュWebサイトはこちら https://www.ladish.jp/