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モデルから画家へ。日常に溶け込み、寄り添うアートを

CULTURE

画家MAAAさん

\ MAAAさんってこんな人! / ■「アート」がコミュニケーションツールだった幼少期 ■やりたいことを言葉にして、モデル・画家の世界へ ■見た人がほっとする作品を。宮崎の自然にインスピレーションを受けて そんなMAAAさんのこれまでの歩みとは?詳しく話を伺いました。

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日常に溶け込む「描く」というコミュニケーション

自己紹介をお願いいたします!
画家 MAAA(マー)です。1992年9月に長野県で生まれ、2歳のころから宮崎県宮崎市で暮らしていました。
幼いときはどんな子どもでしたか?
子どものころは、小児喘息を患っていて、入院することも多く長い時間を病院で過ごしていました。 当時から絵を描くことが大好きで、ひたすら病室でアニメのキャラクターなど好きなものを描いていました。絵を描くことはコミュニケーションの手段でした。絵を通じて人と繋がることができ、自己表現として楽しんでいました。 描く絵を通して、より相手とコミュニケーションを取りやすくなるような感覚がありましたね。日常の中に当たり前に「描く」という手段があった感じです。
当時から、絵を描くことが好きだったんですね。学生時代はどのように過ごされましたか?
体調が良くなってからは、潮見小学校、宮崎中学校に通いました。 中学時代は、宮崎市の画家の作品を見て影響を受け、細かい点や線を使ったスタイルの作品を制作していました。 また、「表現する」こと全般が好きだったので、小学校4年生から高校に入る前まで、ヒップホップなどのダンスをしていました。体を動かして表現することも好きでした。
「表現する」ことが好きなのは、なぜでしょうか?
表現することを通じて他人と繋がることが楽しかったからです。 あとは、幼い頃から母が私をひとりの人間として尊重し、何をしたいかを常に聞いてくれました。そのため、自分の考えを表現することに抵抗がありませんでした。 「あなたはなぜそうしたいのか、自分から言わないとわからないよ」と言われて、自分の思いを発することが多かったので、どんな人とコミュニケーション取るときも、まずは自分について話すということを心がけていました。 だからこそ「表現する」ことが好きなんだと思います。あとは純粋に「人が好き」なのもありますね。
高校はどちらに進学されたのでしょうか?
宮崎日本大学高等学校芸術学科に進学しました。 元々ダンスに注力できるような学校に進学を希望したのですが、進路相談の際に担任の先生と美術の先生が「あなたは芸術学科に進んだほうが絶対に良い!」と後押ししてくれました。

モデルとして比較される日々。「大丈夫!」を合言葉に私らしく

高校時代はどんな学生生活を過ごされましたか?
高校時代はとにかく「アルバイト」に励んでいました。美術部にも所属していましたが、放課後はアルバイトに没頭していました。 その頃からモデルの仕事をしていたので、東京でのオーディションに行くための旅費や生活費を少しでも稼げたらという気持ちで頑張っていました。
どのような経緯で、モデルの活動を始められたのですか?
ダンスをやっている頃から、人前に出るような仕事に興味があったんです。周りには「モデルや芸能の仕事をやってみたい」って言葉にして伝えていました。 自分でオーディションを受けたりしつつ、母親の知り合いの人に「来てみたら?」と誘われて撮影に参加させてもらうこともありました。 やりたいことを声に出して発信していたら、それが徐々にモデルの仕事につながった感じでしたね。
高校卒業後から、本格的にモデルのお仕事をされたのでしょうか?
高校卒業後は、上京して映像系の制作会社に入社しました。 入社した会社で、リポーターのような仕事をしながら、裏方のお仕事も1年ほど経験しました。その後、都内の大手モデル事務所に所属することになり、モデルの仕事を本格的にスタートさせました。
事務所に入られてからは、どのようなお仕事をされていたのですか?
モデルの仕事をメインに活動して、アパレルブランドのカタログなどに出ていました。 CMやミュージックビデオに出ることもありました。
印象に残っているお仕事はありますか?
どのお仕事もとても楽しかったですが、今でも覚えているのは、とあるアパレルブランドの撮影ですね。 クリエイティブディレクターの方が、海外の方で、とてもエネルギッシュでクリエイティブな思考だったんです。 毎回新たな視点をもらえる撮影現場で、モデルとしてのキャパシティを広げてもらった気がします。
モデル時代のMAAAさん
憧れていたモデルのお仕事ですが、実際に経験されてみて大変だと感じたことはありますか?
当時は、大きなブック(※)を抱えて1日に3〜4件ものオーディションをはしごする、という日々を過ごしていました。 仕事を勝ち取るための仕事がオーディション。毎日が就活のようでした。 オーディションではいろんなモデルさんと比べられて評価されるので、自分では人と自分を比べないようにしようと意識していましたね。「私は私」という気持ちを持っていないとしんどくなっちゃうので。

※モデルにとっての必需品。アルバムのような作品集で、オーディションの際に持参する。

常に他のモデルさんと比較される環境で「私は私」という気持ちを持ち続けるのは、難しくありませんでしたか?
もちろん「私は私!」って思えないときもいっぱいありました。 例えば、絶対受かるって思っていたオーディションに落ちてしまうことが続くと、つい人と比べたりして自分自身を苦しめたり。それでも口に出すしかないなって思うんです。「大丈夫。私は私だし、どうにかなる」って説得するように自分に言い聞かせていましたね。 どうしても気持ち的にダメな時には、友人に話を聞いてもらいます。すると、気合が入って「頑張ろう」と思えました。
オーディションのように自分をPRする場面で、心がけていたことはありますか?
ありきたりですけど、楽しむことでしょうか。 でも、今振り返ると、楽しむだけじゃなくてもっと自己分析すれば良かったなと思うんです。 当時は生きるのに必死で「仕事を取らなきゃ」という思いが強かったので、落ちてもすぐに次のオーディションに気持ちを切り替えていました。でも、俯瞰して何がダメだったんだろうと考え、改善することも大切だったのかなと思います。
アート活動を本格的に開始されたのはいつ頃だったのでしょうか?
絵を描く活動は趣味の一環として、モデルの仕事と並行して続けていました。 モデルの仕事が少ない時は、東京の井の頭公園で石に絵を描いて販売したり。私自身がモデルでネイルができなかったので、ネイルをした気分を楽しめるようなスマホケースも作りました。 キャンバスの絵を売ることに自信がなくて、いろんなアイテムに絵を描いて販売していましたね。
今でも手掛けているスマートフォンケースの作品。依頼主の希望や雰囲気に合わせて描いている
2019年には個展を開催されていますが、何かきっかけがあったのですか?
ずっと個展をやってみたかったんですが、なかなか勇気が出なかったんです。 ちょこちょこでも言わないと始まらないなと思って、先輩に相談すると「個展ができる場所を紹介できるよ」と、その日のうちに個展を開催する場所が決まって。 開催まで時間も少なかったので「悩んでる暇はない」と、とにかくいろいろ描きました。リアルな人物画や景色というよりも、抽象的でお家にインテリアとして飾っても感情がグッと行き過ぎない作品を作りたくて。 日常の中に溶け込み、人に寄り添うような雰囲気の作品を作るために試行錯誤した結果、今の抽象的な作風に辿りつきました。 個展がきっかけで出会った今の作品の雰囲気が、今では「私らしい」と感じています。
なぜ今の作風が「私らしいな」と感じるのですか?
単純に、やっていて楽しいからです! 元々は細かい絵を書いていて、それももちろん楽しかったんです。でも今の作風に出会えてから、自分の心が解放できた気がしています。 描いていて楽しいって素直に思えたし、今の私の抽象画の絵をいろんな人に見てもらった時にも「MAAAっぽいよ!」って言われるんです。
どのタイミングで宮崎に戻られたのですか?
10代からモデル活動を始めて、19歳の時にモデル事務所に所属。それから約10年間モデルの仕事を続けていましたが、28歳の時に事務所を辞めたんです。 宮崎にUターンしたのは28歳の時です。2019年に個展を開催したあと、宮崎に帰ろうかなと考えていた時期があって。 宮崎の仕事を探していた時に、ブライダルカメラマンの求人に応募したら受かって。それがきっかけで宮崎に戻ってきました。
宮崎に戻って画家の活動をすることに、ハードルはありましたか?
全然ありませんでした。特に私の場合はInstagramをメインで活動しているので、本当に場所は関係ないんです。
MAAAさんのInstagram(@maaa_art) https://www.instagram.com/mai_maaa/
確かに、宮崎に世界堂(※)のような沢山の画材が揃っているお店があるかって言ったらそうじゃない。でも今はネットで何でも揃うし、宮崎には素敵な画材屋さんもいっぱいある。宮崎って何もないけど、心を満たしてくれるものはたくさんある。何にもないことをあんまりネガティブに捉えていません。 それよりも、空気もいいし海も近い宮崎の環境がとても好きだし、創作活動にはとてもいい場所だなと思っています。

※世界堂とは、東京都に本店を置く画材・文房具専門店。水彩絵具やキャンバス、額縁など、絵を描くために必要な道具を豊富に取り揃えている。

 
宮崎以外の土地でモデルのお仕事をされてきたからこそ、今の活動に何か生きていることはありますか?
すごくあります。 宮崎の良さって、多分出てみないと分からなくて。宮崎って、都会よりは刺激はないじゃないですか?若い時って、アクティブに動きたいから「宮崎はつまんない」って思ってるかもしれないけど、一度出て帰ってくるとホッとするんですよね。 それに東京や海外から戻ってくると感じるんですが、他の場所でできることって宮崎でもできるじゃんって思うんです。

 

お仕事必需品は「手」!休日は自然の中でのんびり

お仕事の必需品を教えてください!
ワクワクした気持ちと自分の手です。 筆を使う事もあるのですが、基本的には手で絵を描いています。 自分の気持ちが絵にも反映されると思うので、ポジティブな気持ちも大切にしています。ネガティブな時でも絵を描いていると、自分自身もパワーをもらえる気がして、絵に助けられていますね。

 

ご自身にとって「描く」とは、どういう存在ですか?
日常に溶け込んだ存在です。歯磨きみたいに当たり前で、自分の生活の一部みたいな感じですね。
お休みの日はどのように過ごされていますか?
夫のサーフィンについて行って、海でのんびりしたり、撮影しています。
ご主人との出会いは?
サーフボードに絵を描きたくて、東京でお世話になった制作会社の方に相談したんです。 そしたら「宮崎で頑張ってる子がいる」とプロサーファーの方たちを紹介してくれて。その中の一人が今の夫です。
写真のサーフボードも、MAAAさんの作品のひとつ

色や質感で癒しを。宮崎の自然にインスピレーションを受けて

Maaaさんの作品は色彩の美しさが印象的ですが、何からインスピレーションを得ているのですか?
宮崎の空気や気候、海の香りを感じて作品に落とし込んでいる気がします。 都会に住む人が、満員電車の中で見た時に「なんか癒される」と思ってもらえるような作品になったらいいなと思って制作に取り組んでいるんです。 東京の時だと、もっとグッと強い印象の作品になっていたと思うのですが、宮崎に戻ってきて自然と触れ合いながらインスピレーションを受けて、柔らかい作品が作れるようになってきたんじゃないかな。 過去の自分が見て癒される作品を作るっていうのは結構意識していますね。
質感も特徴的ですよね。
作品を作る時には、子どもたちが作品を触って楽しい!とか面白い!って思ってもらえるように質感も工夫しています。 だから私が開く個展も、作品を子供の目線に合わせて展示しているんです。小さい子が作品を見上げるのではなく、同じ目線で見たり触れたりして何か感じてくれると嬉しいです。 2024年8/2(金)から8/5(月)に、宮崎市の四季通りにあるイベントスペース「haco」で個展『PLANET』を開催します。もし興味がある方がいたら、ぜひ実物を見てみて欲しいですね。 「絵なんてよくわからない」と感じている人でも、あまり難しいこと考えずに感覚で楽しんでもらえるようなものを作れたら、と思っています。
最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
学生のうちは、就活とか受験とか大きな目標のために頑張る時期があると思うんですが、もっとリラックスして大丈夫だよって伝えたいですね。 私も個展とかを控えていると思い詰めたりして「うー」ってなっちゃう。でも、ちょっと肩の力を抜いてリラックスすることで、視野が広がったりするんですよね。 もし宮崎に住んでいる若い子でアーティストになりたいという夢を持っているなら、たくさん楽しんでいっぱい描いて!あとは目標を言葉で表現するといいと思います。 私も「画家になりたい、モデルになりたい」って口に出し続けた結果、今がある。自分だけのパワーだけでは、きっとモデルの仕事も画家の夢も実現できていなかったと思います。 実は、東京でモデル事務所に所属することが決まったのも、友人が事務所にプッシュしてくれたおかげなんです。 「あの子、モデルになりたいって言っていたよね」「画家になりたいって言ってたよね」といつも周りが応援してくれて、ここまで来れました。 時には自分に自信がなくなる時もあるかもしれないけど、そんな状態の自分も認めた上で「まあでも、大丈夫」って自分に言い聞かせてあげながら、自分のやりたいことを言葉にすることを大切にして欲しいですね。

 

 

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