住む人の夢を背負い、図面を描く。最適解を模索しながら
WORK
有限会社COGITE 代表取締役 蒲牟田 健作さん
\蒲牟田 健作さんってこんな人! / ■小学生の時に見た建築に影響を受け、建築士の道へ ■スペインに行くために引き受けた仕事がきっかけで、有限会社COGITEを設立 ■テゲバジャーロ宮崎ホームスタジアムの設計も担当 そんな蒲牟田さんのこれまでの歩みとは?詳しく話を伺いました。
通学路で見た、コンクリート打ちっぱなしの建築に魅了されて
自己紹介をお願いいたします!
蒲牟田健作(かまむた けんさく)といいます。1975年4月生まれの49歳です。
千葉県で生まれ、3歳の時に宮崎県西都市に引っ越してきました。
西都市の小中学校を卒業後、都城工業高等専門学校に進学。現在は、有限会社 COGITEという建築設計事務所の代表取締役を務めています。
建築士を目指したきっかけは何だったのでしょうか?
小学校6年生の時に、通学路で見た建築に影響を受けました。当時は珍しいコンクリート打ちっぱなしのスキップフロア(※)の建物で「こんな建物を作ってみたい」と思ったのを覚えています。
その時はまだ小学生だったので、建物を作ることと設計の仕事が結びつかず、「建物のデザインをしたい」と考えていました。
※スキップフロアとは、1つの階層に複数の高さのフロアが設けられた間取りのこと
中学卒業後は、建築学科のある都城工業高等専門学校に進学されたんですよね。
中学生って、高校の進路を決めないといけないじゃないですか。建物を作る仕事って何だろう?と考えた時に「建築設計事務所というものがあるぞ」とおぼろげに分かってきて。
それで建築学科がある高校を探していた中学3年の夏に、都城工業高等専門学校の存在を知りました。
寮もあったし、国立で学費も安かったので「ここしかない」と思い、猛勉強しました。学校の先生にマンツーマンで数学の指導をしてもらい、塾にも通いました。
都城高専では、どのような学生生活を過ごされましたか?
卒業後は設計事務所で働きたかったので、在学時から本や雑誌で就職先を探していました。僕が学生の頃は、企業ホームページも少なかったので、紙媒体が情報収集の手段だったんです。
建築雑誌の巻末に、設計事務所の広告のページがあって、片っ端から気になる企業をピックアップして「働かせてください」と手紙を送っていました。
すごいバイタリティですね!
都会に行きたいとかの願望は全くなく、場所はどこでも良くて。とにかく自分が気に入った事務所で働きたいなと考えていました。
どこかに引っ掛かればいいなと思って、北海道や大分などの設計事務所に向けて全部で13社に送ったんじゃないかな?そしたら、2社からだけ返事が来て。全てお断りの返事だったんですけどね。
それで最終的に、学校の先生から紹介してもらった設計事務所で働くことになりました。
就職した設計事務所では、どんなお仕事をされていましたか?
新富町に新田原基地ってあるじゃないですか?航空機の音が大きいので、基地周辺エリアの住宅の防音改修工事を行うことになったんです。そのための現地調査と設計が、僕が最初に担当した仕事でした。
月に5〜6回ほど現地に行き、いろんな家の中に入らせてもらい、家の現状を確認して実測しました。
手書きで図面を復元して、スペックを書いて、仕様を書いて。その作業をずーっとやっていくんですね。しかも、どの家も大体似た構造なので、書く図面がほぼ同じなんですよ。
「これがずっと続くのは辛いな」と思っていたので、1年半ほど在籍したあと、別の設計事務所で働くことにしました。
次に入った設計事務所は、どんなところだったんですか?
有限会社メイ建築研究所という事務所で、造った建築が雑誌に掲載されていたんです。その建築物のクオリティが高く、宮崎にもこんな設計事務所があったんだと思い、すぐに面接をお願いしました。
給料とかは、金額を全然覚えていないぐらい気にしていなかったですね。とにかく建築に関われたらいいやっていう感じでした。
そこではどのようなお仕事をされていたんですか?
基本は建築設計で、用途としては病院や診療所などの医療施設が多かったです。
住宅から施設へ、扱う建築の種類が変わったんですね。
住宅は木造が多いけど、施設は鉄筋コンクリート造とかなので、まず構造体が違いました。
構造体が違うと図面の書き方も変わるんですけど、実は図面って木造が一番難しくて。木造の図面が書けるようになれば、コンクリートも鉄筋も大体書けるんですよね。
前の事務所にいた時に、毎月現場に行って同じような木造住宅をいくつも実測して図面を書いていたので、いつの間にか基本が身についていたんです。だから、扱う建物が変わってもそんなに大変ではなかったです。
同じような図面を書き続けるのは辛かったですが、結果的には悪い経験じゃなかったなと思います。
スペイン渡航のために引き受けた仕事が、独立のきっかけに
25歳の時にスペインに渡航されたそうですね。
少しずつ仕事に慣れていくうちに「環境を変えたい、海外へ行きたい」と漠然と考えるようになりました。
どうせ海外へ行くなら長期滞在したかったのですが、仕事をしていたら無理ですよね。それで会社を辞めて、退職金30万円を使ってスペインのバルセロナに1ヶ月滞在しました。
でも1ヶ月じゃ物足りなくて。お金を貯めてさらに長期で来ようと、一度日本に帰国したんです。
日本に戻ると、前の職場の先輩から「友達が家を建てたいって言ってるんだけど」と設計料150万で仕事を紹介してくれたんです。25歳にとっての150万って大きい金額だし、スペイン渡航の資金のために引き受けました。
そのとき「ついでに独立したら?」って言われたのがきっかけで、COGITEを設立しました。
スペインに戻るために帰国された中での、独立だったんですね。
設計事務所って、独立はすぐできるんです。必要なものは、免許とパソコンぐらいかな?仕入れもないし、先立って買う物もない。
それで独立したんですけど、設計事務所を通しての家づくりだと、1年かかることも普通で。設計で半年、工事で半年ぐらい。150万の設計料で1年、しかも収入じゃなくて売上だから、生活できるわけないじゃないですか。
飲食店で朝4時までバイトをして、日中は本業の設計の仕事、という日々を送っていました。
とても大変そうですが、辞めたいと思ったことはなかったのでしょうか?
スペインに戻る資金のために引き受けた設計の仕事でしたが、独立してしまったので、会社を存続させるための考え方に自然とシフトしていきました。
それに、自信だけはあったから。「何でまだ俺を見つけてくれないんだ」ぐらいの気持ちだったんですよ。
電気も水道も止まったりして、きつかった時期もあったけど、3年目ぐらいからかな?ホームページ経由で問い合わせがあったりと、少しずつ軌道にのってきましたね。
限られた予算と理想の間で。クライアントにとっての最適解を模索
設計の仕事をする上で、大事にされている事はありますか?
設計事務所によっては「うちはこのスタイル」って決めているところも多いけど、うちの事務所は決まったスタイルはなくて、建物ごとに形やデザインも変わります。
もちろん自分たちの色も出すけど、出す割合はお客さんによって違うんです。
お客さんもそれぞれなので、ここは絶対譲らないっていう希望を持っている人もいるし、そうでない人もいます。当然デザインや考え方、提案の仕方も変わってきます。例えば、天井が高い家が好きな人が多いけど、低いのが好きな人もいる。閉鎖的で暗いのが好きだとか、様々です。
9割がお客さんの要望、1割が僕らの提案でできた家もあるし、その逆もある。
僕が住みたい家を作るんじゃなくて、お客さんの家なので、しっかりと希望をヒアリングしてデザインを詰めていって、予算に合わせて提案するということを大切にしています。
「どういう暮らしをしたいか」という住む人の理想をベースに、建物をデザインをされているんですね。
当然、全てをお客さんの言う通りにしてしまったら意味がない。僕たちに依頼したということは、そこを求められてきてるわけじゃないでしょうから。
僕らにとっては、何十件やってきた中の案件の一つでも、お客さんにとっては一生に一度の大きな買い物。そこへの熱量もすごいんです。
お客さんのすごいエネルギーを背負ってやるので大変なこともありますが、なるべく希望は肯定しながら、ちょうどいい具合を探るっていうのは気にしています。
折り合いが大切なんですね。
住宅だけでなく、2021年には宮崎県児湯郡新富町のサッカー専用スタジアム「いちご宮崎新富サッカー場」の設計も手掛けられたと伺いました。きっかけは何だったのでしょうか?
僕はサッカー観戦が大好きなのですが、それを知ってるゼネコンの営業の人が繋いでくれた仕事なんです。電話がかかってきて、できるか聞かれたので「やったことはないけど、やります」って言って。
でも設計って、意外と地味な作業なんですよ。いざプロジェクトが始まるとコストを合わせたり、その段取りをしたりがほとんど。9割が地味な作業で、残り1割がデザイン作業。
大規模なスタジアムだったので、3年間かかりました。大変ではありましたが、完成した時にサポーターさんから色々嬉しい言葉をいただいたり、アウェイの人たちが来た時に、新しいスタジアムについてポジティブな反応があると、良かったなと思いますね。
お客さんが喜んでいる様子や、反応がやりがいにつながっているんですね!
そうですね。あとは、デザインをしていてピタッとはまる瞬間があると嬉しくなりますね。
手描きのスケッチでイメージを共有。ミスマッチを防ぐために
お休みの日は、どのように過ごしていますか?
家族行事がある時は、一緒に参加したりしますね。特に予定がない時は、大体事務所に行きます。
映画も好きで、戦争が絡んでいるものや実話がベースになっている作品をよく観ますね。
お仕事の必需品を教えてください。
スケッチブックなんですが、クライアントに見せるために、内装とかのイメージをスケッチしています。
定規も使ってなくて手書き感覚なので、実際のサイズ感とは違ったりして、あくまでもイメージを伝えるためのスケッチなんですけど。
住宅の場合、クライアントと同じイメージを共有してるかどうかが特に大事で。建物が完成してから「思ってたのと違った」って言われるのが一番きついですから。
蒲牟田さんにとって、建築設計のお仕事とは?
あまり考えたことがないんですよね。でも、例えば宝くじが10億でも100億でも当たったとしても、多分、建築設計の仕事はやめないと思います。
人間の住む所って重要じゃないですか?
住宅は、建築の基本というか、建物の中では人間が滞在してる時間が一番長いと思うので。やはりそこが「原点」だと感じています。
住宅だけやっている感じではないんですけど、住宅の設計をしているときが一番好きかもしれないですね。
最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします。
僕自身、独立後に大変なこともたくさん経験したんですが、クヨクヨはしないんですよね。いつも「どうにかなる」って思うようにしています。
他の人に励ましてもらったり、なぐさめてもらったとしても、所詮他者からかけてもらった言葉。結局、自分でどうにかするしかないんですよね。
失敗したぐらいで、命を取られることはないじゃないですか?がんばってください!