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宮崎を代表する食品メーカーへ。思い込みを捨て、挑戦しよう

WORK

株式会社デイリーマーム 専務取締役和田 剛さん

\和田 剛さんってこんな人! / ■株式会社デイリーマームの専務取締役 ■ピンチをチャンスに変えた、ゴボチ開発 ■未来を切り開くために「思い込みを捨て、可能性を信じる」 そんな和田さんのこれまでの歩みとは?詳しく話を伺いました。

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始まりは弁当製造から。安心安全な食で人を幸せにしたい

自己紹介をお願いいたします!
和田剛(わだ つよし)です。1981年生まれの43歳です。 宮崎日本大学高等学校を卒業後、福岡県の専門学校に進学してデザインなどを学び、デザイナーや営業の仕事をしていました。 現在は、株式会社デイリーマームの専務取締役を務めています。
株式会社デイリーマームのことを教えてください!
デイリーマームは、2007年(平成19年)4月に私の父親が設立しました。 "デイリーマーム"の社名は、"日々の母の想い"という意味を込めた造語なんです。 会社設立当初は、お母さんの味で人を幸せにしたいというコンセプトで弁当の製造・販売をしていました。現在は、レストラン運営、学校のカフェや食堂の運営、ケータリング事業など、食に関する事業を多角的に展開しています。

 

ホテル・プリンススマートイン宮崎に併設されている、ライスボウルショップ&カフェ「ル ソレイユ」
宮崎県産食品の直売所、レストラン、製造工場がある複合施設「ママンマルシェ」
施設内では、学生の校外実習など、食関連産業を担う人材育成も行なっている
デイリーマームが運営する、有機いちご農園

 

 

和田さんも、会社設立当初からデイリーマームでお仕事をされているんですか?
いいえ。会社が設立された頃は、まだ福岡で仕事をしてました。 もともとデザイン関連の仕事をしていたので、飲食業界は全く未知の世界でした。それでもこの業界に飛び込んでみようと思えたのは、父親の姿があったからだと思います。 50歳を過ぎて会社を興してお弁当屋さんとして奮闘している姿を見るうちに、「自分にも何かできることはないだろうか」という気持ちになり、会社設立2年目の時にデイリーマームに入社しました。
お弁当屋「にこ丸堂」
家族経営の小さな会社だったので、弁当の製造・配達や、販路拡大のための営業や経理も、何でもやりました。 会社もできたばかりだったのでノウハウもなかったですし、失敗したり、悔しい思いも沢山経験しました。
具体的にはどのような出来事があったのでしょうか?
会社を始めた当初は、「お母さんの代行業」というビジョンを掲げて、280円弁当というのを販売していたんです。 毎日忙しいお母さん達の代わりにお弁当を作り、ご家族で食べてもらいたいという思いからの価格設定でした。 誰でも安心して食べてもらえるように、宮崎の市場で野菜を仕入れたり原料にこだわりつつ、一生懸命手作りなどをして、企業努力で価格は抑えていました。 しかし、買いに来てくださるお客様の中には「安い弁当なら何でも良い」といった方も多くいらっしゃって。価格を安く設定することで"手頃さ"だけが評価され、味や原料に対するこだわりを理解してもらえないこともありました。

ピンチをチャンスに変えて。ゴボチ開発のストーリー

お弁当販売に対する"想い"を理解してもらうことが難しかったんですね。
購入してくださることに感謝の気持ちがある一方で、試行錯誤を重ねた商品が「ただの安い弁当」としか見てもらえないと感じることもあり、複雑な思いがありました。 また、価格競争なども相まって、飲食業界の難しさも感じていましたね。 個人の弁当屋さんがだんだんと淘汰され始めていた頃でもあったので、「お弁当屋の未来は、さらに難しくなるな」とよく考えていました。 そんな矢先、2010年(平成22年)に口蹄疫(※1)や新燃岳の噴火(※2)などの災害が相次いだんです。災害によるイベント中止に伴い、お弁当の需要が減少。売り上げが大きく落ち込みました。 そこで弁当事業以外の柱を作るため、お惣菜として販売していたゴボウチップスに着目し、賞味期限の長いスナック菓子としての商品化を目指し、開発を始めました。 宮崎食品開発センターからも色々とアドバイスをいただいて商品開発を進め、完成したのが"ゴボチ"でした。

※1.口蹄疫とは、口蹄疫ウイルスの感染による偶蹄類の伝染病で、万一発生した場合には法に基づく防疫措置がとられる。宮崎県では、平成22年4月に児湯地域を中心に口蹄疫が発生し、畜産業だけでなく地域経済や県民生活に大きな影響があった。

※2.平成23年1月に宮崎県と鹿児島県の県境に位置する霧島山(新燃岳)が噴火した。

株式会社デイリーマーム公式サイトより  https://dailymarm.com/

 

弁当業と商品開発は、同じ"食"での分野でも全く異なるので、学ぶことが多くありました。 市場に出ている野菜チップスの商品を全てかき集めて「ごぼうの風味を残すには?」「パリッとした食感にするには?」といったことを研究しました。知り合いの製造メーカーさんにも沢山助言をいただきましたね。
開発のきっかけには、そんな背景があったのですね。空港のお土産屋さんなどでよく見かけるゴボチは、パッケージも、目を引くデザインが印象的ですよね。
本当は、もっとオシャレな感じのデザイン案もあったんです。 でも"ゴボチ"は、添加物を使用せず、国産ごぼうを使うところにこだわっているので、どなたでも食べていただけるような、親しみやすい商品イメージをパッケージに落とし込みました。 でも商品化したばかりの頃は、なかなか受け入れてもらえなかったですね。 お弁当の会社が突然スナック菓子を開発して販売し出したので、周囲にはなんか変なことやってるな、という風に思われていたんじゃないでしょうか。 当初は、販路拡大も売り上げも、なかなか厳しかったですね。
ゴボチをはじめとする商品のパッケージやロゴは、社内のメンバーによってデザインされている
現在ではゴボチはお土産の定番というイメージがありますが、ここまで認知度が高まったきっかけは何だったのでしょうか?
日本経済新聞に取り上げていただいたんです。その記事が関係者の目にもとまり、宮崎空港で販売してみないかとオファーしてくださったんです。 宮崎空港で販売できたことによって、徐々にゴボチを知ってもらえるようになっていきました。 試行錯誤を重ねて完成した商品が、幅広い世代の方に受け入れてもらえたのは、本当によかったなと思います。

自分の可能性を信じる。思い込みを捨てて、挑戦しよう

現在では、日本だけでなく、海外へも販路を拡大されていますよね。
そうですね。最初は宮崎市だけでお弁当を売っていたのが、製造メーカーとして海外へ商品輸出が始まったりと、事業内容も大きく変化しました。創業当時は、こんな会社になるとは誰も予想していなかったと思います。 ゴボチの開発は、新たな事業の柱を作るために始めたようなものです。あの時、諦めずに新しいことに挑戦したからこそ、今があるのかもしれません。 これからも「食」という軸を大切に、安全で美味しいものを作っていくことで、自ずと道はひらけるんじゃないかなと思っています。
 

 

最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします!
ネガティブにならず、チャレンジすることを大切にして欲しいです。 うまくいかないことや、不安や嫌なことがあると周囲や自分を取り巻く環境のせいにしたりしがちだけど、実はうまくいかない原因は自分にもあったりするんですよね。 どんな道でも最初は地道にいくしかない。でも信じて一歩一歩進むことで、きっかけを掴めば一気にステップアップできることもある。 「宮崎にいるから」とか「どうせ自分は何もできない」と思っている人は、ぜひ思い込みを捨てて欲しい。いろいろ言い訳をせずに、自分の可能性を信じて挑戦することで、未来への道はひらけると思います。

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