逆境を糧に。大好きなアパレル業界で宮崎から世界へ
WORK
株式会社パルバージョン BASEディレクター 重山 佳代さん
\重山 佳代さんってこんな人! / ■大好きなアパレル業界への就職。反対され続けた学生時代 ■逆境を糧に、好きを大切に!念願のアパレル業界へ ■宮崎を拠点に県外や国外へ飛び回る日々 そんな重山さんのこれまでの歩みとは?詳しく話を伺いました。
反対され続けたアパレル業界。それでも好きに真っ直ぐに
自己紹介をお願いいたします!
重山 佳代(しげやま かよ)です。株式会社パルバージョンの運営する「BASE(ベース)」でディレクターを務めています。
株式会社パルバージョンはどのような会社でしょうか?
1981年に創業した、婦人服や雑貨小売販売を専門とする会社です。宮崎県宮崎市に本社を置き、店舗は宮崎県・大阪府・京都府などに14店舗(2024年11月現在)展開しています。
その中でも、宮崎市橘通東にある「BASE」は、国内外から集めたコレクションブランド(※)を独自にセレクトし展開する、レディースセレクトショップです。
※コレクションブランドとは、年2回春夏と秋冬に、パリ・ミラノ・ニューヨーク・ロンドンなどの都市で順番に行われるコレクションに出展されるブランドを指す。
重山さんの学生時代について教えて下さい。
宮崎県内の小中学校を卒業後、パソコン関係を学べる県内の高校へ進学。卒業後は、公務員専門学校へ進学しました。
公務員専門学校に進学されたということは、学生時代は公務員を目指されていたのですか?
いえ、私自身は幼いころからずっとファッションが大好きで、アパレル業界に就きたいとずっと思っていました。
親が幼いころから洋服を手作りしてくれていて、そこから洋服の世界に興味が出始めました。
学校も服飾やヘアメイク関係に行きたかったけれど、当時はまだまだ「アパレル業界=不安定」と思われている時代。両親にはずっと心配され、反対されていました。
ファッション関係には進学できなかったものの、学生時代は周りに洋服が好きな子が多く、ファッション系の雑誌を見てみたり、自分で生地を買って服を作ったりして、楽しんでいましたね。
専門学校を卒業し、いざ就職となったとき、アパレル業界に就きたいと改めて親に伝えると「まずは3年間医療事務として働きなさい。それでもアパレル業界に行きたかったら、応援するよ」と言われました。
厳しい条件や親からの反対を受けながらモチベーションを保つのは、かなり難しいように感じますが、どのように考えていたのですか?
むしろ反対されればされるほど、やりたい想いが強くなっていった気がします(笑)。反対をパワーに変えていましたね。
しっかり3年働ききって、株式会社パルバージョンにご縁をいただき、転職を決めました。株式会社パルバージョンは、当時から宮崎のアパレル企業の中でも特に労働環境が整っていたので、親に安心して納得してもらえるだろうとも考えました。
親の反対を押し切っての就職に加えて、当時は就職氷河期。私はとても不器用だったし、服飾系のことを学んで就職したわけでない。専門用語も全くわからない状態で、周りとの大きな差を感じていました。
「10人の中で1人残ればいいだろう」と言われる中で、ここでやり抜くしかないと頑張ってきましたね。
頑張るのって、自分自身でやればやるほどですから。
その頑張り抜く力や意思を貫く力はどのように身に着けたのでしょうか?
中学校時代の部活動での経験は、ひとつ大きな出来事だったかもしれません。
吹奏楽部に所属しており、フルートを担当していました。
吹奏楽部は一般的に、人数が多くてスケールが大きいほど音色の幅が広くなるので、賞を取りやすい。一方私たちは、特に私の学年は10人未満で少なかったんです。
加えて、指導教員は音楽の先生ではなく、音楽初心者の社会科の先生でした。普通に考えると賞を取りづらい条件ではあったのですが、「頑張って賞を取ろう!」とみんなで盛り上がって、中学3年の時に賞を取ることができました。
できないと言われていることを、仲間と乗り越えていく経験は大きな財産になりました。
あとはとにかく「好き」なことだということが大きいと思います。
苦手なものだったら、正直全然頑張れません。自分が大好きな「洋服」という世界だったからこそ、ここまで来れたのだと思います。
同世代のアパレルの友人とも、「みんなで頑張ろう」って励まし合ってきましたね。
やりたい!に応える社風。ファッションの本場パリへ
現在のお仕事内容について教えて下さい。
具体的な業務としては、接客はもちろん、定期的に東京やパリへバイイング(仕入れ)に行ったり、ディスプレイなど店舗のイメージづくり全般を担当しています。
お店は、自分にとっての大きなクローゼット。「コレクションブランドを日常生活に落とし込む」ことをコンセプトに、スタイリングの提案をしています。価値観に共感いただけるお客様と、好きを共有しあえるのがとても楽しいですね。
仕入れでは、パリにも行かれるんですね!
そうですね。年に4回は行っています。通訳の方に同行いただきながら、ブランドの展示会を見て回ります。
「これだ!」っていうものに出会って、お客様に紹介するのを想像するときがとてもワクワクします。
もともと私は仕入れは担当していなかったのですが、「仕入れをやってみたい」と会社に伝えたところ、「やってみたら?」と背中を押してくれました。ここまで自主性を尊重してくれるアパレル関係の企業は宮崎ではなかなかないのではないでしょうか。
これからも、BASEを拠点に、宮崎にここがあって良かったと思っていただけるように盛り上げていきたいです。
重山さんにとって「アパレル」や「ファッション」の魅力って何でしょうか?
ファッションって、日常を彩ってくれる存在なんです。洋服に限らず、生活スタイルとか食事も、ファッションは全てに繋がってくる。彩られた人生は、楽しいです。
そして、ファッションは常に変わり続けるんです。
今年はこれが正解だったけど、来年は違ったりして。常にインプットしなくちゃいけないのは大変なんですが、私は飽き性な部分もあるので、逆にそこが魅力でもありますね!
必須アイテムは、気分を上げるリップやフレグランス
お仕事の必需品はありますか?
そうですね。いくつかあります。
まずはスマートフォン。スタイリングの参考になる画像が入っていたり、撮影をしたりと、よく活用しています。
あとは、仕事の合間に気分を上げるようなリップやハンドクリーム。フレグランスでリフレッシュもしています。プレゼントでいただいた小さいミラーも、お守り代わりとしても持ち歩いています。
今の自分にはどれも必須アイテムです。
お休みの日はどんなことをされているのでしょうか?
職場の友人などと、美味しいものを作って楽しんだりしています。
世界でも若手が活躍する業界。「やりたい」は、チャンス!
最後に、宮崎の若者へメッセージをお願いします!
国内海外関わらず、各地で活躍する宮崎県出身の方にお会いすると、嬉しい気持ちになり、私自身も頑張ろうという活力になっています。
また、海外で仕事をする中で、ファッションウィーク期間中、最近はアジアの20代の方たちが増え、高いプロ意識をもって、一生懸命に明るく頑張っている姿をよく目にします。
今日本では働き方改革などで、働く側にとっては良い部分も多く、働き方も多様になってきていますよね。加えて、日本の多くの企業で今は人手不足。若年層はとても重宝される存在です。
自分のやりたいことが見つかったらチャンスです!仕事って、人生の大半の時間を使います。であれば、好きなことを仕事にできるって幸せなことだと思うんです。
宮崎から色々な分野で活躍できる方が増えたら嬉しいです!